パレットは画家がハーモニーを奏でるための楽器であり、その音楽にふさわしい状態に保たなければならない。
ジェームズ・マクニール・ホイッスラー
ジェームズ・マクニール・ホイッスラーは、「芸術のための芸術」を信条とする耽美(たん)主義の画家です。
《黒と金色のノクターン―落下する花火》は、その信念を体現するように描かれた一枚。
アートと音楽が響き合うように生まれた、ホイッスラーの「夜想曲」を紹介します。
耽美主義とは
“芸術は何かの手段ではなく、目的そのものである”という思想。
スローガンは「芸術のための芸術(Art for art’s sake)」。
つまり、芸術は誰かの役に立つためでも、社会を変えるためでもなく、それ自体の美しさのために存在するという考え方。

本記事のおすすめのBGMはショパンの《ノクターン 第2番 変ホ長調 Op.9-2》か、ドビュッシー《夜想曲》。こちらはくだらないnote。
【作品解説】黒と金色のノクターン
一見、さらっと描かれたように見える《黒と金色のノクターン―落下する花火》。
けれどその一筆一筆には、ホイッスラーの信条「芸術のための芸術」が息づいています。
視線を誘導させる点の配置

川に打ち上がる花火は、火花が落下する一瞬をとらえています。
煙がたちこめる夜空に、金色や白の光が儚く降り注ぐ。つい見上げるようにその光を追いかけ、気づけば画面の中で“夜空を見上げていませんでしたか?

ホイッスラーが描いた、黒い背景に浮かぶ火花の配置や異なる点の大きさが、自然と視線を上へと導いているのです。
純色が奏でる調和
黒の中に、真ん中に白をたっぷり乗せて、細やかな黄金の粒が散りばめられています。

彼は、キャンバスの上で色が調和し、黄金に見せることにこだわりを見せています。
この金色を描くために、彼が選んだ色は混ぜていない純色。イエローオーカー、ローシェンナ、ローアンバー、コバルトブルー、バーミリオ。ヴェネツィアンレッド、インディアンレッド、アイボリーブラック。
あえて混色せず、選び抜いた色を決まった順番で並べる。黒やと白の上で描かれるこの筆跡が、静かで安らかで心が整う感覚を与えてくれます。
私は、まるでショパンの《ノクターン 第2番 変ホ長調 Op.9-2》みたいだと感じました。
同じ旋律を繰り返しながらも、音の長さや強弱によって表情を変えていくノクターンのように、ホイッスラーも同じ色調の中で微細な変化を重ね、静けさの中に豊かな調和を生み出しています。
【おまけ】批評に怒って裁判に
《黒と金色のノクターン―落下する花火》は、批評家から激しい非難を受け、裁判になったことでも知られています。
当時のイギリスの美術評論家ジョン・ラスキンは「公衆の面前で絵の具の入った壺を画布に投げつけただけの絵だ」と酷評。

ホイッスラーは名誉毀損で訴え、勝訴したものの、ラスキンは「酷評したのは精神病だからだ」ということで、賠償金はごくわずかでした。
それにより、ホイッスラーは裁判費用で破産寸前になってしまったのです。
彼の作品は、緻密で繊細計算し尽くされた美の結晶。そんな作品にご意見されたら、腹も立つというものです。
【おまけ】印象派に参加しなかった理由
ホイッスラーは21歳の時にパリに渡り、美術を学んでいました。その時、マネやドガ、ルノワールらと親交を深めました。
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1874年、第一回印象派展にドガが彼を招待しましたが、ホイッスラーはこれを断ります。
印象派は自然界に黒は存在しないと考え、光や色の瞬間的印象をそのまま閉じ込めようとしましたが、ホイッスラーにとって最優先は美しさ。彼は、視覚的な調和や優雅さを重んじたのです。

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しなやかな輪郭線、シンプルな構図、限定された色幅、音楽用語を用いたタイトル。これらの特徴により、彼は印象派とは一線を画した独自の画風を確立していきました。
ホイッスラーってどんな人?

ジェームズ・マクニール・ホイッスラー(1834年–1903年)は、アメリカ生まれ。父親の仕事の関係で幼少期の多くをロシアで過ごしました。

1849年に父を亡くした後、アメリカに戻り、すぐにフランスへ渡って美術を学びます。そして人生の大半をイギリスで過ごしました。

牧師を目指したかと思えば、陸軍士官学校に入ってすぐ退学。地図製作の仕事を2か月だけ経験するなど、さまざまな道を転々としました。
ホイッスラー自身、服装はダンディで大変おしゃれな人でした。


そして、芸術全てをこよなく愛しており、彼の抜群のセンスは絵の中だけでなく、タイトルに音楽用語を用いるなど遺憾なく発揮されています。

インテリアのセンスも素晴らしく、現存する唯一の室内装飾作品がピーコック・ルーム。イギリス人のお金持ちが、「薔薇と銀:磁器の国のお姫様」を飾る部屋を建築家に依頼していました。


そこにホイッスラーが口出しを重ねた結果、部屋全体がまるで彼自身の美意識で染まったかのようになったのです。
多くの経験を積み、幅広い教養を持つ皮肉屋。そんな彼の根幹に「美しいものを愛しぬく」信念を感ずにはいられません。
浮世絵がもたらした影響
ホイッスラーは歌川広重の作品を所有しており、「名称江戸百景」シリーズを高く評価していました。
その中でも「両国橋の花火」から着想を得て、《黒と金色のノクターン》を描いたとされています。

私は、葛飾応為の「夜桜美人図」の星の煌めきを思い出しました。応為の星もまた、ひとつの色にとどまらず、複数の色で光を表現しています。



ドビュッシーの「夜想曲」との繋がり
音楽における印象派の先駆者とも言えるクロード・ドビュッシー。
1899年に完成させた「夜想曲(ノクターン)」は、ホイッスラーの本作品からインスピレーションを受けた楽曲です。
第2楽章「祭り」では金管楽器を用いて、静けさの中の華やかさを感じさせます。
まるで《黒と金色のノクターン―落下する花火》の、夜空に散る金色の花火を音で表現したかのよう。
ノクターンとは
ノクターン(Nocturne)は、夜を題材にした音楽の形式で、静けさや夢幻的な雰囲気を持つピアノ曲が主。
ドビュッシーは、絵画からインスピレーションを受けることも多く、有名作「海」は葛飾北斎の名作『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』から影響を受けていました。

私はドビュッシーの作品にお気に入りが多いのですが、「絵画のような音楽」だからなのかもしれません。
黒と金色のノクターンはどこで見れる?
《黒と金色のノクターン―落下する花火》はアメリカ・ミシガン州のデトロイト美術館に所蔵されています。
ホイッスラーは、油彩や水彩だけでなく、エッチング作品も多く制作していました。
エッジングとは
金属の板(多くは銅)に、化学薬品で腐食させて線を刻む版画技法。
デトロイト美術館には、彼のエッチング作品が多く所蔵されているので、たくさんの作品に触れることができるでしょう。


彼の代表的な肖像画も同館に所蔵されています。

【最後に】落下する花火、上から見るか下から見るか、全く別から見るか
あなたはこの作品を、どこから見ましたか?
私は、気づけば上から下へと視線を動かしながら「落下する花火」を見上げていました。ホイッスラーの計算し尽くされた“美”の構成によって、気づかぬうちに彼の手のひらの上で転がされていたのです。
けれど、ホイッスラー自身は音楽のように花火を見ていたのかもしれません。
彼の教養の深さや信念からくる“ものの見方”は、想像の遥か上をいくものでした。「勉強すると世界が広がる」とは、こういうことなのかもしれませんね。
いつか、私は雨を見て「繊細な雨粒が、地面に落ちる時の音はまるでセレナーデのようだ」とか思える日は来るのでしょうか。だいぶ遠そうです。
芸術家にはなかなか気難しい人が多いので、仏のルノワールと陽気なピサロを置いておきます。ぜひ癒されてください。

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参考文献
「細部から読み解く西洋美術」- スージー・ホッジ 訳:中山ゆかり
「ホイッスラーからウォーホールまで 版画に見るアメリカ美術の100年」- 大森達次
「クラシック音楽全史」- 松田亜有子

