ミレー「晩鐘」静かな祈りに重ねた〈想い〉を解説

ミレー「晩鐘」

12月の名画は、フランスの画家 ジャン=フランソワ・ミレー の《晩鐘》。

ミレーは農民として生まれ、「農民の代弁者である芸術家」と高い評価を受ける一方で、若い頃に学んだ宗教画・歴史画の表現にも関心を寄せていた画家でした。

自身のルーツ、周囲からの期待、画家としての志向。それらが重なり描かれた《晩鐘》を、本記事では読み解いていきます。

しろみ

読んでくれた人の心があたたかくなることを祈って記事を書いています。noteはじめました。

目次

【解説】日常と祈りが交差する《晩鐘》

ミレーにとって大切な一枚である《晩鐘》は、彼の日常にあった“一瞬”を切り取った作品です。

音をすべて生み出せるのが表現のレアリテ※である。

※フランス語で「現実」「事実」という意味。 (ミレーの生涯 P.252 ミレーの言葉より抜粋 )

「見た人に、鐘の音が聞こえてほしい」と願いながら描いた《晩鐘》には、彼の人生が詰まっています。

ナダール「ジャン・フランソワ・ミレーの肖像」©︎Wikipedia
ナダール「ジャン・フランソワ・ミレーの肖像」©︎Wikipedia

幼少期の記憶から生まれた《晩鐘》

作品に描かれているのは、1日の終わりを告げる鐘の音が聞こえ、祈りを捧げる農夫とその妻の姿。

この着想の原点はミレーの幼少期の記憶にありました。

ミレー「晩鐘」
ミレー「晩鐘」1857年 ©︎Wikipedia 

熱心なカトリック信仰をもつ祖母に育てられたミレー。

カトリックでは、1日に3度、祈りの時刻を知らせるために鐘が鳴らされます。

祖母は、畑仕事の最中に教会の鐘が鳴ると、いつもミレーの手を止めさせ、亡くなった貧しい人々のために「晩鐘の祈り(アンジェラスの祈り)」を唱えさせていました。

《晩鐘》の着想は、畑で仕事をしている最中に教会の鐘が鳴ると、祖母がいつも私たちの手を止めさせ、亡くなった貧しい人々のために“晩鐘の祈り(アンジェラスの祈り)”を唱えさせていたことを思い出したことから生まれました。

ジャン=フランソワ・ミレー

《晩鐘》は、そんな記憶をふと思い出したことから生まれた作品です。

ミレーが込めた信仰心

本作が描かれた頃「農民の代弁者である芸術家」として知られ始めていました。

そのため、一見すると「ただ祈りを捧げている農民」を描いたようにも見えますが、宗教画としても読むことのできる、新しい表現の作品でした。

宗教画といえば、聖書の物語を視覚化し、信仰の内容を「目で見て理解させる」もの。

一方、《晩鐘》に描かれているのは、鐘の音だけを合図に、自然と祈りの姿勢へ移る農民たちの姿です。

ミレー「晩鐘」祈りを捧げている夫婦

《晩鐘》には神の姿も、奇跡の場面も描かれていません。絵の右奥には、景色に溶け込むように教会の尖塔が置かれているだけです。

ミレーの絵に描かれている教会

彼は農民の風景を描きつつ、祈りという宗教的行為を通して、本来関心を寄せていた宗教画や歴史画の表現を完全には手放しませんでした。

尊厳と現実を映す風景

静かで厳かな雰囲気が漂う晩鐘。

ミレーは地平線を高く描くことで、私たちの視線を人や大地へと引き寄せ、画面全体に厳かな印象を与えています。

広大な農地を描き、人物を手前に配置することで、静かで重たい雰囲気を作り上げる。
そのため私たちは「農民が祈っている絵」だけで終わらせることができず、その奥にミレーの想いを探してしまいます。

祈りを捧げている場所は、ジャガイモ畑です。

当時の農村において、ジャガイモは貧しい人々の生活を支える重要な食料でした。

作品が描かれた1850年代は、フランス革命や2月革命などの影響から政治体制が安定せず、社会全体に不安と緊張が広がっていた時期。そうした中で営まれていた、農民のつつましい暮らしが、この静かな風景の中ににじみ出ています。

祈り、貧困、農民のリアル。それらが重なり合うことで、《晩鐘》は、ミレー自身の人生と同時代の現実を静かに映し出す作品となったのかもしれません。

<おまけ>晩鐘で興奮する画家”ダリ”

サルバドール・ダリは、シュルレアリスム(夢と現実が混じり合った状態こそが真の現実であるとする考え)を代表する画家です。

Salvador Dalí 1939年 ©︎Wikipedia
Salvador Dalí 1939年 ©︎Wikipedia

ダリは幼い頃に《晩鐘》を見て、言葉にできない「恐怖」や「不安」を感じたと語っています。

なぜ自分がこのような気持ちを感じるのか、思考を巡らせるうちに、どうやら《晩鐘》の強烈なファンになっていました。

そして、自分流の解釈を残しており、『ミレー〈晩鐘〉の悲劇的神話』に記されています。

ダリは、「夫婦が祈っているのは自分たちの赤ん坊の遺体だ。絵の中のかごには赤ん坊の死体が隠されている。」と信じ、実際にX線検査まで行っています。
結果として見つかったのは、単なるかごの描き直しの痕跡でした。

次に彼が持ち出してきたのは、カマキリ
本書には突然、カマキリの交尾や捕食の写真が登場します。どうやら《晩鐘》の男女の姿が、カマキリの構図と重なって見えたようです。

なお、ダリはこの本の中で「ミレーの生涯については調べていない」と明記しています。
彼が向き合ったのは、絵を見た瞬間に湧き上がった感覚だけでした。

本を読んで、頭がおかしくなりそうでした。ですが、彼の無限に続く超理論的な連想ゲームの奥深さ、満足がいくまで根拠を集め調べ尽くす姿は、1周回ってかっこいいのかもしれません。

農民画家として讃えられたミレーの素顔

ジャン=フランソワ・ミレー(1814年〜1875年)は、フランスの田舎町シェルブールで長男として生まれました。熱心なカトリック信仰をもつ家族のもとで育ちました。

特に、正義感が強く周囲から尊敬されていた父と、厳格で愛情深い祖母の影響を受けていたと言われています。

ミレー「自画像」©︎Wikipedia
ミレー「自画像」©︎Wikipedia

ミレーは絵が好きでしたが、家を継ぐつもりだったので本格的に学び始めたのは17歳の頃。その絵の才能を見抜いた家族に背中を押され画家の道を志すことになったのです。

23歳でパリに出てきましたが、都会の生活に馴染めず、絵は思うように売れない日々が続きました。
27歳で一度目の結婚をし、わずか3年足らずで死別。31歳で、生涯添い遂げる人と内縁関係になり、子供にも恵まれますが、生活のために裸画や肖像画を描いている時期もありました。

一時期は「ミレーといえば裸の絵を描く人」という印象だったよう。その印象を悔しく感じた彼は「自分が描きたい絵を描く」と決意しました。

そして、フランス南東にあるバルビゾン村に移住し、風景の中に農民の姿を描くようになるのです。彼の描く農民は、まるで歴史画や宗教画に描かれる人物のような特別な存在感を放ちます。

ミレー《死と木こり》1858-59©︎Wikipedia
ミレー《死と木こり》1858-59©︎Wikipedia

それゆえ、当時のフランス国家は社会に対する敵対行為と見なしましたが、彼の絵は世間では常に注目の的。国も目を背けられない程でした。そして、国がやっと彼を認め、絵の注文したのは彼が60歳のとき。

ミレー《夜の狩猟鳥》1874年 ©︎Wikipedia
ミレー《夜の狩猟鳥》1874年 ©︎Wikipedia

その時、ミレーはすでに病と戦っており、翌年1975年に61歳で、この世を去りました。彼の死後、フランス国家はミレーを、改めて評価し、国民的英雄として受け入れるようになりました。

「晩鐘」がオルセー美術館に寄贈されるまで

《晩鐘》は、現在、オルセー美術館に収蔵されています。

オルセー美術館
オルセー美術館

この作品はアメリカ人の依頼で制作されましたが、依頼者が買い取らず、オークションへ。最終的には非常に低価格、約1000フランで落札されました。

ところが19世紀後半になると、《晩鐘》の評価は大きく変化します。

フランスとアメリカがオークションで競り合い、最終的に作品はいったんアメリカへ。

その後、「この名画を国外に置くべきではない」という声が高まり、800万フランで買い戻され、オルセー美術館に寄贈されます。

なお、オルセー美術館には、ミレーの代表作《落ち穂拾い》も所蔵されています。

ミレー『落穂拾い』1857年 ©︎Wikipedia
ミレー『落穂拾い』1857年 ©︎Wikipedia

【最後に】幼少期の感覚は私たちを支え続ける

子供の頃の記憶を《晩鐘》として描いたミレー。
幼い頃に抱いた感覚を、疑わずに追い続けたダリ。

ミレーは、農民としての現実や社会からの期待に応えながらも、自身のルーツや想いを静かに作品へと重ねました。一方のダリは、幼少期の感覚を疑うことなく、納得がいくまで追い求め続けました。

大人になるにつれて、自分の感情が分からなくなることがあります。けれど、子供の頃の感覚や記憶は、知らず知らずのうちに今の自分を形づくっています。

社会や現実の役割を全うしつつも、何かを感じたときには、その瞬間に受け取ったまっすぐな感情に、耳を傾けてみてもいいのかもしれません。

私たちは与えられた役割を果たしながら一年を終えようとしています。本当にお疲れさまでした。

《晩鐘》を通して一年を振り返りながら、来年はもう少しだけ、自分の本当の気持ちに耳を傾けて生きていけたら。
そんな願いを込めて、ここまで読んでくれたあなたの幸せを、静かに祈っています。

参考文献
「ミレーの生涯」- アルフレッド・サンスィエ

「ミレーの名画はなぜこんなに面白いのか」- 井出洋一郎
「ミレー<晩鐘>の悲劇的神話」-サルバドール・ダリ
「オルセー美術館の名画101選」-島田紀夫

YuRuLi
サイトの管理人
TOKYO | WEB DIRECTOR
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本業以外に、日常に溶け込むプレイリスト動画の作成や音楽キュレーションの仕事も。音楽、ガジェット、家具、小説、アートなど、好きなものを気ままに綴っていきます。自分の目や耳で体験した心揺れるものを紹介。
ミレー「晩鐘」

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