【映画レポ】「PERFECT DAYS」で描かれた人間と作品の二面性を考察

あなたは、公衆トイレで働く清掃員の日常を想像したことがありますか?

映画「PERFECT DAYS」は役所広司さん演じる公衆トイレの清掃員“平山”のなんでもない日々を描いた作品です。

大きな山も谷もない一人の男の日常を綴った本作ですが、多くの映画好きを唸らせ、カンヌ国際映画祭ではエキュメニカル審査員賞を受賞しました。

「人間の内面を豊かに描いた作品」に与えられるエキュメニカル審査員賞ですが、ここでいう“人間の内面”とは何を指すのでしょうか。また、美しく「PERFECT」な日々を描いた“作品そのものの内面”には、一体何が隠されているのでしょうか。

本記事ではそんな点にフォーカスしながら作品の魅力とその裏側について、ネタバレありでじっくりと考察していきたいと思います。

筆者:温かい牛乳

友達を笑わせるべく一緒に遊んだ日のVlogを作成。満を持してお披露目した際、しっかり大笑いを獲得して喜んでいたら「笑いに貪欲すぎる」と言われる。個人のnoteでは数々の偏愛記事を公開中。

目次

映画「PERFECT DAYS」とは

あらすじ

渋谷でトイレ清掃員として働く平山は、毎日同じように見える日々の中に、小さな喜びを見いだして生きている。昔から聴き続けている音楽や、休日に古本屋で買った文庫本を読む時間を楽しみに、風に揺れる木のように穏やかに過ごしていた。そんなある日、思いがけない再会が彼の過去を少しずつ照らし出していく。

物語の主人公である平山は、所謂「丁寧な暮らし」や「ミニマリスト」という言葉を体現したかのような生活をしています。

部屋にあるものといえば本とカセットと植物。テレビもなければベッドもない、必要最低限の、好きなものだけを選び抜いた彼の城。Vlog撮ったらギリ人気でそうだけど、平山はもちろん動画撮影なんてしないし編集するPCやスマートフォンさえ持っていません。

そしてそんな彼の日常は、起きて歯を磨いて髭を剃り、大切に育てている盆栽に葉水を与えて家を出る。家の前の自販機で缶コーヒーを買い、カセットテープで音楽を流しながら車で区内のトイレを回る。仕事中も仕事後も、ルーティン化した毎日。

そんな日々の中にある小さな幸せにフォーカスし、何気ない毎日の尊さや愛おしさを解像度高く描いた作品が、映画「PERFECT DAYS」です。

まずは役所広司という俳優を語らせてほしい

本作を語るうえで欠かせないのが、主演を務めた俳優・役所広司の存在です。

役所広司
役所広司 ©︎モデルプレス

というかもはや「欠かせない」なんてレベルではないです。これは、役所が演じる平山の生活にフォーカスした、すべてが彼を中心に作られた作品。

私たちが見ているのは“平山”という一人の男の生活の中に関わってきたその他の人間たちの姿だけで、平山とシフトが被ってない日の同僚の働き方なんて知らないし、平山が店にいないときの古本屋のおばちゃんの様子なんてもはやどうだっていいんです。

もちろん、職場の後輩(柄本時生)や姪(中野有紗)など平山の周りの人間を演じる俳優陣の”主張し過ぎず、でもしっかりとそこで生きている”という塩梅が素晴らしいが故に、本作が平山映画に成り得たというのは言うまでもありません。

しかし、役所広司は全てをかっさらっていく。

彼の存在感は頭一つどころではないレベルで飛びぬけていると言っても過言ではないでしょう。

役所広司の経歴をおさらい

彼のことを語るとその経歴はあまりにも分厚く、時間がかかりすぎてしまうので、ここでは俳優・役所広司について少しだけ詳しく見ていきたいと思います。

役所広司(本名:橋本広司)は、高校卒業後に上京し、東京都千代田区役所に勤めていました。

働いて4年目、仲代達矢主演の舞台『どん底』を鑑賞した際に感銘を受け役者を目指した彼は、倍率200倍ともいわれる仲代が主宰する俳優養成所「無名塾」に合格。

仲代達矢
仲代達矢 ©︎無名塾公式

役所勤務という経歴に着目した仲代達矢より「俳優としての役所(役柄)を広めてほしい」という願いを込めて名付けられた“役所広司”という名前を背負い、多くの舞台やテレビドラマに出演し、映画作品としては『オーロラの下で(1990)』で初めて日本アカデミー賞・優秀主演男優賞を受賞します。

オーロラの下で
出典:ぴあ映画

その後は日本アカデミー賞をはじめとする国内外の数々の賞を受賞し、Wikipediaに記載されている受賞歴を見るだけでもスクロールする指はとどまることを知りません。

「アイツだったら…現象」を生み出す演技力

「映画」PERFECT DAYS場面写真 ©︎映画.com

上手すぎる役者って、人々に恐怖を与えると思うんです。もちろん良い意味で。個人的にはリリーフランキーなんかもそうなんですけど、どうですか? 

そして、それと同時に見ている人に「考える余地」を与えると思っています。

「この表情の意味は何なのか」「ここのセリフの間はどういう意図なのか」。もちろん役として生きていて自然と出てくるものもあるだろうし、全てに意味があるとは限りません。

でも、2時間前後の映画なんて作中で語られない部分の方が多くて、そこを如何にその人物の姿から想像を膨らませて、各々の解釈を見つけさせるか、というのは役者たちの手にかかっているわけです。

私はこの、作中で語られていない部分を鑑賞者が考え補完していく現象を「アイツだったら…現象」と呼んでいます。

実際に起きていないことや見聞きしていないことを、自分が知ってる“アイツ”だったらどうするか、“アイツ”がああするのには何か理由が…みたいな想像をさせられる現象、起きたことある人多いのではないでしょうか。

そして役所広司さんはその現象を引き起こす能力がずば抜けているんですよね。

だって本編のラスト、「正直意味がわからない」となりませんでしたか?

平山が車を運転しながら、一人で泣いているような笑っているような顔をしているシーンが約2分。

これは一体どういうことだと、鑑賞者全員が思ったと思います。 もちろん筆者も疑問でした。あの顔はどういう感情なのか? 泣いているのか、笑っているのか、はたまたどちらもなのか。

鑑賞者はそれまでの平山の姿を通して“アイツだったら…” の各々の答えを見つけていくわけですが、本記事でも、映画「PERFECT DAYS」が描く日常を通して、ラスト2分の平山の表情の意味についても考察していきたいと思います。(先にラストの考察を読みたい人はコチラ

映画で描かれた「人間の内面」とは?

パーフェクトデイズ
「映画」PERFECT DAYS場面写真 ©︎映画.com

先述した通り、「PERFECT DAYS」は“人間の内面を豊かに描いた作品”と評価されているわけですが、この映画について色々考えていた時に筆者はある仮説を立てました。

『人間に外側と内側という二つの面があるように映画にも内と外があり、内面を豊かに描いている(ように見える)ことがこの作品自体の“外側”であり、内側には別の何かがあるのではないか』というものです。

まず人間でいう外側というは、もっとも簡単な「目に見える部分」のこと。

顔や体型、表情、服装、SNSなどで切り取られる生活、他人の目に映り直接視覚的に捉えられるものが人間の外側です。

では、人間の内面って一体何でしょう。外側が外見なら内側は性格? 

そんな簡単な単語一つでまとめられるものなのか、そうなると内面を豊かに描いたっていうのは「性格を豊かに描いた」ってことになるけど、正直それでは意味が分からない。

そんな、言葉では上手く表すことができない、というか言葉にするとややチープにも聞こえてしまうようなものを平山の生活や感性を通して表現し、そこに「豊かである」という評価を付けられたのがこの「PERFECT DAYS」という作品です。

「映画」PERFECT DAYS場面写真 ©︎映画.com

文章を書く仕事をさせていただいている中で「言葉で表すとチープだ」なんて言ってしまっていいのだろうかという気がしないでもないですが、そうとも言わなきゃ説明がつかないんですよ。

だって、彼は木が好きです!なので毎日木の写真を撮ってその変化を感じる感受性がとても豊かです!とか、彼は音楽が好きです!なので好きな音楽のカセットを集めて毎日聞いていて、その良いものを見極めるセンスの良さは素晴らしいです!とか書いてもなんかめちゃくちゃチープじゃないですか。

そこを上手く表現するのも仕事なんでしょうけど、すいません、それはもう映像と文章の特性の違いとして見逃してほしい。

ただ、平山という男はほぼ毎日同じようなことを繰り返して生きています。

仕事に行く前も、仕事中も、家に帰ってからも、休みの日もほとんど決まったサイクルで過ごしています。

でも、仕事の中で出会った人やポケットに入れたフィルムカメラで撮り続けている木々の写真は毎日違う表情を見せる。

「何も変わらないなんて、そんな馬鹿な話ないですよ」というセリフからも伺えるように、傍から見たら同じことの繰り返しでも、まるで木漏れ日のようにその一瞬の光と影の中を生きていること、そこに同じ日なんてものは一日もないのだと理解している平山自身の思考が「内面」であり、それを豊かな表現で表しているのが本作なのではないでしょうか。

映画そのものにも外側と内側がある

こんな風に人間に外側と内側という二つの面があるように、映画そのものにも目に見える部分と見えない部分があるのではないか、というのが今回筆者が主張したい内容です。

この映画の外側は所謂「人間の内面を豊かに描いている」部分であるとすると、その内側にあるもう一つの面は「その豊かさとか豊かであるがゆえに起こる出来事って、作り手の理想なんじゃね? 」ということ。

めちゃくちゃ正直に申し上げると、この映画には「おい、なぜそうなる? 」という唐突な描写がいくつかあります。


一体どんな文脈でこの事象が起きたのでしょうか。

作り手の理想が内側にあるものかもしれない

主人公の平山は音楽や本の趣味がとても良く、彼のコレクションしているカセットはカセット屋でどれも高値で見積りが出され、休日に行く古本屋で選んだ本は毎回店主から「これはいいわね!」と太鼓判を押されます。

パーフェクトデイズ2
「映画」PERFECT DAYS場面写真 ©︎映画.com

そんな彼の「良いものを見極めるセンスの良さ」という内面的な部分から派生して、カセットの曲を気に入った若い女の子が、平山にカセットを返す前に「もう一度聞いてもいい? 」と車に乗り、曲を聴いた後にほっぺチューをして去っていくという出来事が起こります。

筆者はどちらかというと年齢も性別もその女性側なので必然的にそちら目線になるのですが、これはもうシンプルに「え、なんで? 」案件。

また、休日に大体決まって訪れるスナックでは、お店の美人ママが明らかに平山を贔屓しており、他の客との扱いの差は一目瞭然。

「映画」PERFECT DAYS場面写真 ©︎映画.com

その姿を見て筆者は「あ、なんかここできてる感じ? 」と思ったのですが、ママには離婚歴があり、その元旦那と開店前に店内で抱き合うシーンがあったのでガッカリ。できてなかった。それなのに、そのあと会った元旦那からは「アイツを頼みます」とか(初対面なのに)なぜか後を託されちゃうわけです。

そんな「好きなお店があり、休日には決まって訪れる」という生活の中の楽しみがあるからこそ発生したこのイベントも、こちらからしてみれば「え、なんで? 」なんですよ。

これらって「平山の内面が豊かに描かれている」が故に起きたことで、音楽や本の趣味が良いとされていなければ女の子と再会することはなかったし、好きだと思える店があってそこに常連レベルで通うことに幸せを見出せる人間でなければ店のママに特別扱いされることもなかったわけです。

「内面を豊かに描いている」という外側があるからこそ起きたこれらが、この映画の内面的な要素であり、それは監督の夢や理想が少なからず反映された、言うなれば「監督にとってのPERFECT DAYS」という意味があるのではないでしょうか。

ラスト2分の平山の表情についての考察

人間の内面(と監督の理想)を詰め込んだこの作品のラスト。

約2分間、ただひたすらに泣きながら笑う平山が映し出されるあのシーンには、一体どのような意味が込められているのでしょうか。

私なりに考えた結果、たどり着いた結論。

それは『人生は良いことも悪いことも起こるが、新たな1日の始まりは素晴らしい』ということを暗示しているのではないかということ。

まず、このシーンで流れている楽曲、ニーナ・シモンの『Feeling Good』の歌詞の一節を見てみましょう。

It’s a new dawn, (新しい夜明け)

it’s a new day, (新しい1日)

it’s a new life for me(それは私にとって新しい人生)

And I’m feeling good(そして私は気分がいい)

改めて考えると、泣いているような笑っているような表情してる人、全然「I’m feeling good」ではないのでは? と思います。

しかし、筆者はこの歌詞を「新しい一日の始まりは新しい人生の幕開けであり、新たな一日が始まるということこそが最高なのだ」という解釈をしました。

約2時間の本編の中で、平山の生活を通して彼の人間性を深く追及しました。

寡黙ながらも実は表情が豊かなところとか、きっと裕福な家の出だけど自分の手で道を切り開いて好きなものを選び好きなものに囲まれた「自分だけの世界」を作り出していることとか、後輩や姪など周囲の人のために何かをしてあげられる優しさがあることとかを知り、そんな平山のあの表情に意味を見出したくなってしまうのは必然であると思います。

姪が訪ねてきたあの日から明確に今までの自分の日常とは違うことがあって、過去と対峙し自分で作り上げた自分だけの「PERFECT」な世界に少し亀裂が入ったかもしれない。そして、もしかしたらそれが彼にとって苦しいことだったのかもしれません。

でも生きていればそういうことってきっと誰にでもある。

日常の中には色々なことがあって、良いことも悪いことも、嬉しいことも悲しいこともあって、心に負荷がかかってふと泣きそうになる時がある。でもそれだけではなく、そんな出来事や感情を経験しながら積み重ねる日々こそが人生を作り上げていくものであり、「今日も新たな一日が始まる」ということ自体が素晴らしいのだという意味での笑顔が混じる。そんなことを暗示しているのがこのラストシーンなのではないでしょうか。

それぞれにとってのPERFECT DAYS

「映画」PERFECT DAYS場面写真 ©︎映画.com

世界人口約82億人。

一人ひとりに生活があり、日常があり、人生があります。

自分の生活を振り返ったとき、起きて身支度をして、学校や会社に行って、帰って寝てを繰り返す毎日に飽き飽きすることもあると思います。,

そんな時はこの映画を見てみてください。

きっと平山という一人の男の生活を通して「変わらない」と感じる日々に同じものは一つもないことや、そんな日常を楽しむことの尊さを感じ、自分にとっての「PERFECT DAYS」を見つけ出したくなるはずです。

そしてもし役所広司という素晴らしい俳優の手によって、あなたの身にも「アイツだったら…現象」が起きたら、ぜひあなたなりの解釈をして、このラストシーンの意味を見つけ出して見てくださいね。

YuRuLi
サイトの管理人
TOKYO | WEB DIRECTOR
Youtube登録者19万人。
本業以外に、日常に溶け込むプレイリスト動画の作成や音楽キュレーションの仕事も。音楽、ガジェット、家具、小説、アートなど、好きなものを気ままに綴っていきます。自分の目や耳で体験した心揺れるものを紹介。

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