【北斎の娘】葛飾応為の真実とは?父の影で生きた女流絵師の作品を紹介

2025年10月、葛飾北斎の娘の映画「おーい、応為」が公開されます。

主人公である葛飾応為(おうい)は、女性が活躍するのが難しかった江戸時代に絵を描き続け、浮世絵史に名を残した絵師です。

彼女に関するほんの僅かな記録から伝わってくるのは、破天荒で情に厚い人柄。数少ない作品から見られるのは、指先から着物の裾まで細い線で丁寧に描かれる繊細で独特な筆使い。

今回は謎に包まれた「北斎の娘」葛飾応為について、私なりに紐解いてみたいと思います。

しろみ

東京都在住。30代で新しくできたあだ名は”分析”。趣味は人間観察、苦手なことは頑張ること。ピラティス始めました。

目次

【3分でわかる】葛飾応為ってどんな人

葛飾家の中で北斎と一番波長が合ったのが、応為でした。

彼女の本名は「阿栄(おえい)」といい、北斎と2人目の妻の間に産まれた三女です。

幼い頃から父と絵を描いていた応為は、真っ直ぐで豪快な性格。ボロ布をまとい、部屋がゴミまみれになれば引っ越してしまう父に彼女は当たり前のように付いて行きます。むしろ、甘党の父に対して応為はタバコと酒が大好き。生活態度は父以上だったのかもしれません。

そんな応為のチャームポイントは、長めのアゴだったようで、北斎から「おーい、アゴ!」と呼ばれていました。彼女は特に気にすることなく「なんだい、親父どの」と応じていたようです。

露木為一「1840年代中頃の葛飾応為」 ©︎ Wikipediab

そんな応為も南沢等明という絵師と結婚することになりました。嫁いでからの彼女はもちろん家事はせずに、タバコと酒は継続。でも、絵を描くことを控えていました。

ただ、天才絵師の娘は旦那の画力をすぐに見抜いてしまい、作品を鼻で笑ってしまったのです。嫁レベルも低く、プライドを傷つけてしまった応為は離婚を突きつけらてしまいます。そして、北斎の元へ帰ることとなります。

露木為一「北斎仮宅之図」左;応為 右;北斎 ©︎Wikipedia

出戻った彼女は、もちろん家事はせずに部屋は散らかしますが、豪胆な性格から北斎の弟子たちから頼りにされる存在でした。なにより、幼い頃から北斎の絵を手本に描き続けていた彼女の絵の腕前は素晴らしかったのです。当時の江戸で「春画」を描いた唯一の女性絵師でもあり、美人画においては北斎が腕前を認めるほどでした。

葛飾応為「月下砧打美人図 」©︎colbase

ただ、北斎に負けず劣らずの画力があっても、当時の江戸で日の目を見る事はありませんでした。

彼女は「葛飾北斎」という名前にも価値があることを自覚していました。何より父親を心から尊敬していたのです。だから、支えることに徹していたのです。そのため、「葛飾応為」の名で世に残る作品僅かしかありません。

北斎の没後、応為は定住することなく、各地を転々とする暮らしを送ったようです。晩年は絵を教えることを生業としていました。最期については諸説あり、「絵を教えに行く」と告げて消息を絶ったという話があります。

ちなみに彼女の生まれた場所や年齢については謎に包まれています。残っている情報は「○歳っぽく見えた」という曖昧な情報で記されており、推定もまちまち。

1874年頃に北斎が「50歳すぎのお栄という娘と暮らしている」と知人に語ったエピソードがあります。これを逆算すると、応為は1790年代生まれ。北斎が30代前半のときの娘、という計算になります。一方、北斎の再婚は30歳後半だった記録も残っているため、真相は定かではありません。

果たして、あの北斎が娘の年齢を覚えているでしょうか。個人的に北斎漫画は幼い応為の教科書だったのでは?という憶測が好きなので、北斎は40歳近い時の娘説を強く推したいです。

応為は2人目の葛飾北斎?

北斎の絵に魅了された人は、葛飾応為という存在に必然的に出会うことになります。

何十年も前、「北斎の作品はすべて彼が描いたのか?」と疑問を抱き、長い時間をかけて手がかりを集めてくれた先人達がいました。彼らが見出した親子それぞれの絵の特徴。それを踏まえ、北斎の作品を見返してみると楽しみの幅が広がるのではないでしょうか。

例えばこちらの作品は、北斎が亡くなる4ヶ月前に描いた作品です。

葛飾北斎『雪中虎図』(1849年)©︎Wikipedia

私は葛飾北斎を奇跡の人だと思っていました。でも、彼女の作品と対峙してから《雪中虎図》を改めて見たとき、”応為らしさ”を感じてしまったのです。

ここから彼女の作品たちを紹介します。ぜひ「応為の特徴」を知っていただければ嬉しいです。

葛飾応為「光と影」を美しく描いた作品

葛飾応為は、日本美術史において「光と影」を初めて描いた絵師だと言われています。

それまで夜を表現する際は、ただ夜空を黒く塗りつぶすのが一般的でした。暗がりで存在する影や、微妙な色の移ろいまでは表現されていなかったのです。

葛飾北斎「千絵の海 甲州火振」©The Art Institute of Chicago

応為の《夜桜美人図》では夜をさまざまな黒色を使って表現することで、闇夜の光のニュアンスと奥行きを表現しています。

葛飾応為「夜桜美人図」©︎Wikipedia

真ん中の灯篭がスポットライトのように夜桜と美人を照らしており、まさに《夜桜美人図》としか名付けようのない作品ですよね。

この応為の作品を三分割で眺めてみると黒色の使い分けや色彩のコントラストにより、空・木・女性の遠近感がわかり、空間が立体的に感じるのではないでしょうか。

星や月によって照らされている空は薄墨色、光が届かない木々の上部は漆黒。この対比により木々の高さや、女性のすぐそばに立っている存在感が伝わってきます。さらに、灯籠の明かりに照らされた桜や、女性の顔と手元は明るく、それ以外の着物部分は影がしっかりと描かれ、灯りの美しさが見事に表現されています。

少し話が逸れますが、私が個人的に大好きなのは応為の細工の細やかさ。この絵の星々は複数の色で描き分けられていて、肉眼で見たときの星のきらめきを感じます。

そして、前半で紹介した《雪中虎図》の雪のキラキラと似ているなと思ってしまうのです。

この作品も無落款ではありますが、美術研究者により応為の作品の一つであるとされています。作品に描かれている女性が「井のはたの 桜危なし 酒の酔」という句を詠んだ瞬間です。応為は、自分のことを酔女と言い換えて署名することがあったためです。

もう一枚、応為の夜の代表作は《吉原格子先之図》です。

葛飾応為『吉原格子先之図』 ©︎Wikipedia

店の中で光に照らされた花魁を、外から人々が眺めている情景を、光と影を使い、情緒たっぷりに表現しています。外と内の光をグラデーションで表現することで、艶かしい世界への好奇心も掻き立てられる様な気がします。

私は、描かれるかんざしの細やかさ・格子の奥行き・提灯の光の柔らかさと影の落ち方に情緒を感じ、たまらない気持ちになるのです。

北斎の影となり生きていた応為にとって、光と影こそが「彼女らしさ」だったのかもしれません。

葛飾北斎の美人画を描いたのは誰?

美人画にかけては応為には敵わない。彼女は妙々と描き、よく画法に適っている

葛飾北斎

応為の美人画の特徴は、「ほつれ髪」。

彼女の作品である《朝顔美人図》と、《三曲合奏図》を見てみましょう。※朝顔美人図の落款は「葛飾辰女」ですが、応為のもう一つのペンネームであると推定されています。

(左)葛飾辰女「朝顔美人図」©︎ロサンゼルス美術館 (右)葛飾応為『三曲合奏図』©︎Wikipedia

描かれている女性の髪の毛に注目すると、結い髪から髪の毛がぴょこっと出ているのがお分かりでしょうか。

そして北斎の名前が残る《二見美人図》にも、応為の特徴である「ほつれ髪」が見受けられます。

葛飾北斎「二美人図」©︎Wikipedia

また、応為の描く「手」や「着物」にも着目して見ると、彼女が描くは手元は細部まで美しく、関節や皺も描かれています。着物は、それぞれの布の重みから成るシワの違いや、柄まで芸が細かいです。

(右)葛飾応為『三曲合奏図』©︎Wikipedia

では北斎の手元と着物を見てみましょう。細く動きが忠実に再現されており、着物も細かく描かれておりますが、応為が描くものとは種類が少し違います。

葛飾北斎 1829年頃 ©The Art Institute of Chicago

個人的な見解ですが、私は絵を描くとつい自分の好きな場所をとことん描き込んでしまう癖があります。なので、もしかして北斎と応為、それぞれの興味の違いが表れているのではないか?と、どうしても思ってしまうのです。

《二見美人図》の着物や手元も、どちらかというと応為の表現に近いなと感じるのは私だけでしょうか。

そして、この作品は北斎の《蚊帳美人図》です。

葛飾北斎「蚊帳美人図」©︎colbase

あなたにはどう見えますか?

私は応為の可能性を感じます。彼女は、北斎の最強の右腕だったのかもしれないですね。

おまけ 応為の些細な”存在証明”

応為の絵には落款が描き入れられていない場合が多いです。作品描いても、売る際に北斎の名を入れたこともあるとも言われています。その理由は、自分の名前では絵が売れないから

けれど、応為自身は作品の中にそっと「印」を隠していました。美人画ならほつれ髪が彼女の「印」と言えるでしょう

《吉原格子先之図》は応為の落款は残されていませんが、絵画の中にある3つある提灯に彼女の「印」が記されています。

葛飾応為『吉原格子先之図』 ©︎Wikipedia

提灯をよく見てみると、「栄」「應(おう)」「為」。自身の名前をそっと忍ばせています。

この些細な行動から、彼女の絵師としての誇りと、ほんの少しの寂しさを感じてしまいます。

彼女はリアリストだったのでしょう。今なら「北斎の娘の絵」は売れたかもしれません。でも江戸時代では女性の活躍が難しく、さらに階級社会だったため「誰の名前で描かれたか」に価値があった。その社会のあり方が、応為に堂々と名前を刻ませなかったのではないかと、思わず歯がゆい気持ちになります。

彼女は、名前ではなく作品で「これは私の絵だ」ということを証明したかったのかもしれません。

映画「おーい、応為」について

「北斎の娘で悪かったな」と、予告冒頭のセリフから”応為らしさ”が滲み出ています。

公式サイトにある出演者のコメントからも本作は史実だけでなく、これまで彼女を研究してきた方々の知見にも敬意を払い、その上でドラマチックに描いてくれているのではないかと予想します。

応為は子供の様な大胆さがあり、人の目を気にせず自由に生きます。
その姿は現代の女性の匂いを纏っていて、カッコいい。
知れば知るほど、味わい深い人物で、実際に彼女に会ってみたい、見てみたいと思いました。
絵や北斎に対しては、まるで人生そのものをかけているようで、勇ましく神々しい。

長澤まさみ コメント一部抜粋(https://oioui.com

ちなみに、過去の応為が主人公の作品では離婚後に身近な人と恋に落ちるシーンが描かれることが多いです。彼女の周りには北斎の弟子や、近所に住んでいた浮世絵師渓斎 英泉(けいさい えいせん)という魅力的な人物だらけなのです。

ただ、史実上でも離婚以降の色恋沙汰はなく、私の中の彼女は、3代欲求が「絵・タバコ・酒」というイメージです。でも、この作品の中で応為は恋をするのかな?相手は誰かな?なんて考えてウキウキしています。

脚本を待ち遠しく感じるようになったのは、映画「HOKUSAI」が最高だったからなのです。ぜひ、彼女の親父どのが主人公の映画も見てみてください。

【まとめ】応為は時代関係なく稀有である

葛飾応為に関する史実はほとんどないからこそ、彼女を主人公とした題材は後を断つことはありません。

きっと謎に包まれた1人の女流絵師へ繋がる小さな手がかりを辿っていくと、どうしても目が離せなくなるからでしょう。彼女には余白が多すぎるのです。それが私たちの好奇心を掻き立ててくれる気がします。

この親子、びっくりするほど”変わらない”のです。2人の中心は「絵」。聳え立つ富士のような父を見て育った応為は、安心して毅然と立っていられることができたのかもしれません。

「北斎の娘」だから悩んだこともあったかもしれませんが、「北斎の娘」だからこそ得られた対価も大きかった。自分の芯である「絵」を描き続けるために最良の選択をした応為は、配慮深く賢い女性だったのではないでしょうか。

私にとっての応為は、絵師としてのプライド人間としての愛情を併せ持った稀有な存在となりました。

あなたには葛飾応為はどんな女性に見えましたか?

参考文献
「北斎になりすました女」檀乃歩也
「北斎の本懐」永田生慈
「葛飾北斎 飯島虚心
「北斎と応為」キャサリン・ゴヴィエ

YuRuLi
サイトの管理人
TOKYO | WEB DIRECTOR
Youtube登録者19万人。
本業以外に、日常に溶け込むプレイリスト動画の作成や音楽キュレーションの仕事も。音楽、ガジェット、家具、小説、アートなど、好きなものを気ままに綴っていきます。自分の目や耳で体験した心揺れるものを紹介。

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