澄み切った青い星空、厚塗りのランタン、鮮やかな鋪道。フィンセント・ファン・ゴッホが亡くなる2年前に描いた、「夜のカフェテラス」。
今もあるこのカフェの前で、当時ゴッホはどんな気持ちで、何を描きたかったのでしょうか。
ゴッホの手紙や、時代背景から「夜のカフェテラス」を詳しく解説します。ゴッホの生涯にも興味がある方はまず以下記事をご覧ください。


アートが好きで印象派やモダニズムに関する本は30以上読破。月2回は国内外問わず美術館・展示会に行く。好きな言葉は「納得」。
【新解説】「夜のカフェテラス」の魅力
「夜のカフェテラス」は、ゴッホが滞在していた南フランス・アルルのフォーラム広場にあるカフェをモチーフに描いた作品。
夜9時までは明るい南仏の夏の夜、ゴッホは黒を使わずに、深いニュアンスに富んだ青で夜空の星空を描きました。テラスの上に揺らめくランタンはゴッホらしい厚塗りで塗られ、手前の舗道は波状の短いタッチでリズミカルに仕上げらているのも特徴です。

実はゴッホ自身はこのカフェにはほとんど行ったことはありませんでした。絵が売れないゴッホは弟・テオの仕送りで生活していて、時には、4日間パンとコーヒーだけで過ごすことも。
9月に訪れた友人の画家ウジューヌ・ポックに奢ってもらいこのカフェへ行った後、すぐにこの絵を描いたようです。
描いたのは2人の恋人?
この絵の主題はカフェと夜空ですが、ゴッホがこの絵で夢中になったのは、「補色」という技法にあります。
「補色」とは、正反対に位置する色を組み合わせることでお互いの色の効果を強めるという、当時、最新の色彩理論でした。
この絵であれば、”青と黄”。ゴッホ自身が手紙の中で、対立する色のことを「2人の恋人たち」と表現しています。
—もうひとつは色彩の研究だ。そこでは僕はいつも何かを発見したいという希望を持っている。2人の恋人たちの愛を表現するために2色の補色を結婚させ、彼らの付き合いや対立を同類の色調の神秘的な震えで表したい。—- フィンセント・ファン・ゴッホの手紙より
ゴッホは、闇夜の色である黒をどこにも使わず、”青と黄”という「二人の恋人」を、夜空・カフェをモチーフにカンヴァスに描いたのかもしれません。
夜が明るくなったという時代背景

この絵が描かれた19世紀後半に夜間照明が飛躍的に発達し、パリの街路には5000基を超えたと言われています。
19世紀はじめに石油→石炭のガス灯へ、そして19世紀後半は電灯が急速に広まっていきました。
それは地方へも広がり、夜のカフェでもテラスが明るく灯されるようになります。そんな時代背景があり、夜でも明るいテラスが描けたわけです。ちなみに1889年にエッフェル塔が完成しています。
実は計算された尽くした構図
ゴッホは「情熱ほと走る荒々しい絵のタッチ」というイメージが世間的に定着しています。
事実、ゴッホは絵のモチーフに対して写実的ではなく、自分の感情をぶつけるタイプです。しかし、何も考えずに感情をぶつけるような手法ではなく、非常に研究熱心なタイプでした。
色や構図の理論を貪欲に学び、時にはあえて粗雑に下手に描くようなこともしています。(※詳しくはこちらを参照)
「夜のカフェテラス」でも、画面奥の一点に、壁や窓枠など並行する線が全て結ばれる「一点消失法」という技法を使っています。

この技法は14世紀ルネサンス時代に確立され、それ以降も伝統的な遠近法として踏襲されてきました。構図の安定感を生む手法を使いつつ、ゴッホだけの独創的な色遣いが反映されたことが、この作品の傑作たりえている点でしょう。
ちなみに、下書きも行っており、その際は右端の樹木が入っていません。さらに完成作では、わずかしかなかった夜空を大きく切り取っているのがわかります。

「これはただ美しい青と紫と緑だけによる、黒なしの夜の絵だ。」(1888年9月9日、ヴィル宛)とゴッホ自身は簡潔に語っていますが、計算し尽くした構図と色彩設定に基づいたいたのです。
広重とアンクタンからインスパイア?
この時期、電灯が増えた時代背景から人々が夜も出歩きやすくなりました。そのため19世紀後半からは夜の町が多く描かれるようになります。
ゴッホの友人で画家のルイ・アンクタンが夜のパリを描いた「クリシー通り、夕刻5時」という作品があり、ゴッホはこの作品を参考に「夜のカフェテラス」を描いたと言われています。

さらに、ゴッホが愛した日本の浮世絵の影響も見られ、特に歌川広重の「猿わか町よゐの景」は構図が似ています。

この絵を描いた時のゴッホの精神状況
ゴッホは「狂気の画家」と呼ばれ、実際この絵を描いた3ヶ月後に自分の耳を切り、入院します。その後は精神的な病にもかかっていきます。
ただ、この絵を描いた1888年9月のゴッホはかなり良い精神状態だったはずです。
南フランス・アルルに滞在している時期で、ゴッホはここで芸術家たちの共同体を作りたいと願っていました。そのために大きな”黄色い家”を借ります。

ゴッホの夢に賛同する人たちはいませんでした。しかし、唯一慕っていたゴーギャンがアルルへ来てくれることに。(実は弟のテオが金銭的な援助をゴーギャンに約束するなど裏で尽力)
待ち望んでいたゴーギャンのアルル到着が10月と近かったことなどあり、この時期は精神的に安定していました。
ゴーギャンを出迎えるために8〜10月にかけて、あの有名な「ひまわり」の連作も描いています。
「夜のカフェテラス」はどこで見れる?

「夜のカフェテラス」は日本にはなく、オランダの「クレラー・ミュラー美術館」で展示されています。
ただ2025年現在、「大ゴッホ展」が始まり、現在、日本で鑑賞できることができます!
神戸での展示から始まり、5月10までは福島県立美術館、5月29日〜8月12日までは東京の上野の森美術館で展示されます。
「夜のカフェテラス」が来日したのは2005年以来、20年ぶり。この機会を逃すと、オランダまで行かないと、当分観れなくなってしまいます。私はオランダのゴッホ美術館には行ったのですが、この作品は観れていないので、非常に楽しみです!

最後に

37年で人生の幕を閉じたゴッホですが、残した作品はいずれも心に”何か”残る、ゴッホの想いが乗っています。
「夜のカフェテラス」では、アルルの明るい夜を2色の相反する色で、「二人の恋人」として鮮やかに描きだしました。
黒を使っていないこの夜の絵に、100年後の今も我々の心が動かされているのは、そんな想いが乗った作品だからではないでしょうか。
参考文献
「ゴッホ作品集)」- 富田 章
「ゴッホへの招待」 – 友澤 和子
『ゴッホ原寸美術館』 – 圀府寺 司
『ファン・ゴッホ アルルの悲劇』 – 山口 昭男

