ゴッホの代名詞「星月夜」に隠された秘密や見どころを新解説 | 今月の絵画vol.3

フィンセント・ファン・ゴッホの代名詞と言えば、「ひまわり」と対をなしてあげられる作品、それが「星月夜」です。

一体、このうねり渦巻く夜の星空と炎のようにゆらめく糸杉にゴッホは何を込めたのでしょうか。

その生き様や作品性から「狂気の画家」と呼ばれ、事実この作品を作る少し前にゴッホは自ら耳を切り落とし、娼婦にそれを渡すという奇行に走っています。その後、精神病院に入院していました。

では、この”世界で最も有名な夜空”は、精神が病んでいたからこそ描けたのでしょうか。

ゴッホの残していた手紙や、牧師であった父に育てられた彼の人生などを振り返ると、この絵に隠された秘密や見どころを探れそうです。

今日は、神秘の夜にどっぷり浸かってみましょう。

筆者:YuRuLi

アートが好きで印象派やモダニズムに関する本は30以上読破。月2回は国内外問わず美術館・展示会に行く。好きな言葉は「納得」。

目次

星月夜とは?

「星月夜」は、フランスのサン=レミで精神治癒のために療養していたゴッホが、病室から見えた夜空を描いた作品(1889年6月)です。ゴッホ作品の中でも特に有名で、特徴的なのは、渦巻く夜空と大きく発光する三日月、そして炎のようにうねる巨大な糸杉。

近くで見ると、ゴッホらしい厚塗りで描かれた様子が見られます。

フィンセント・ファン・ゴッホ「星月夜」至近距離 ©Wikipedia

後に、”世界で最も有名な夜空”として、永遠に語り継がれる名画となりました。

しかし、この作品を描いた約1年後、ゴッホは自ら拳銃で自殺します。この頃のゴッホはゴーギャンとの決裂から精神的に病んでいましたが、実際どのような心境だったのでしょうか。

彼の弟・テオに残した手紙などから探ってみましょう。

ゴッホはこの時狂っていた?

「星月夜」を描いたゴッホは、よく精神的におかしくなってしまっていて、逆に独創性に富んだ作品を仕上げたと思われがちです。事実そうなのでしょうか?

話は少しさかのぼります。

耳きり事件によって精神病院へ

ゴッホは、”強い光”を求めて、フランスのアルルという地に辿り着きます。ここで、芸術家たちが住む理想郷を作ろうと計画していたゴッホ。しかし誰も賛同してくれない中、尊敬する先輩であり、交友もあったゴーギャン(後のポスト印象は御三家)が来てくることに。

ゴッホは大変喜び、自分の住む”黄色の家”でゴーギャンと共同生活を始め切磋琢磨しますが、2ヶ月でその生活は破綻します。(1888年12月)

激情型のゴッホはしばしばゴーギャンと激しい芸術論争を繰り広げていて、ある日のゴーギャンの発言をきっかけに自ら耳を切り落としたと言われています(詳しくはコチラの記事をご覧ください)

サン=レミで徐々に回復していた

その後、まもなく精神病院へ入院。一時退院しますが、発作が続き自らサン=レミの療養院に移ります。

その病室で、東の星空を見て描いたのが「星月夜」でした。この頃のゴッホとテオとのやりとりを見てみると、ゴッホは発作的なてんかんが起こることはあれど、実は、かなり精神的に良好な時期だったことがうかがえます。

「ファンゴッホの手紙」

なぜ良好に思えるか?ですが、精神病院で他の患者を多く見たことで、自分の状態を客観視できたためです。

「狂気に置かれた連中を身近に見ていると、自分だっていずれああなってしまうかもしれないのだから、狂気に対する恐れはだいぶ消え去っている中略—そうとわかれば、初め発作が起きたときから抱いていたあの恐怖心、思いがけず発作に襲われたとき無性に怯えるよりほか何もできないあの恐怖心が和らいでくる。病気のときはそんなものだとわかってしまえば、また違ったとらえ方ができる。
1889年5月22日のゴッホからテオへの手紙

実際、「星月夜」を描いたのが1889年6月で、同年5月22日に「僕は本当にここで調子がいい」と上記手紙の中で残しています。

つまり、狂いながら絵筆を走らせて作り上げた作品ではないことがわかります。

【謎を調査】ゴッホが夜空に描いたのは何?

ゴッホが「星月夜」に描いたのは何だったのか?

多くの学者がこの研究を行っていて複数の”説”があります。その中で最も議論されている”受難”説を紹介しつつ、文献を読み漁った筆者個人の考えを残します。

キリスト教から見た宗教的な解釈

フィンセント・ファン・ゴッホ「糸杉と星の見える道」 ©Wikipedia

この作品で象徴的に描かれている糸杉。この頃のゴッホが特に好んで描いています。キリストが磔にされた十字架が、糸杉から作られたという伝説があり、糸杉はヨーロッパでは、死や喪の象徴とされていました。

また、同時期に描いた「オリーブ畑」。

フィンセント・ファン・ゴッホ「オリーブ畑」 ©Wikipedia

これは新約聖書の「ゲッセマネの祈り」の舞台であるオリーブが茂る山を連想させることから、ゴッホが自分をキリストにたとえ、内面の苦悩と受難を描こうとしたという解釈です。

何やらこむずかしい…。

ちなみにゴッホの父は牧師であり、幼少期からキリスト教に傾倒していたゴッホは伝道師見習いも経験し、絵に宗教的な意味合いを忍ばせることもしています。その文脈から考えると、確かにゴッホが「星月夜」に聖書の内容を反映させているというのも、あり得なくはないでしょう。

ただ、ゴッホの手紙を読んでいると、「いや、そんなこと考えていなくね?」と思ってしまいました。その根拠が、以下の手紙に書かれた部分です。

とうとう僕はオリーブ樹のある風景一点と、それにまた星空の新しい習作一点を描いた。ゴーガンにせよ、ベルナールにせよ、僕はその近作を見ていないが、それらと今僕が言ったこの二点の習作とは感情において同じ傾向のものではないかという確信はかなりある–中略これはロマン派とか宗教的観念への回帰ではけっしてない。
1889年6月17日か18日のゴッホからテオへの手紙

星空の新しい習作が「星月夜」かは正確な記載がありませんでしたが、まさに「星月夜」を描いた6月の手紙でこう記載がある以上、宗教的な考えに取り憑かれていたとは私には思えませんでした。(偉い人すみません)

「星月夜」は”覚醒”ゴッホの実験台

フィンセント・ファン・ゴッホ「星月夜」 ©Wikipedia

「星月夜」には宗教的な説だけでなく、発作による”アウラ体験”で、実際に見えるものが歪んでいた説や、ゴッホが愛読していたエミール・ゾラやディケンズなどの小説に発想源があった説など色々あります。

しかし、どれも曖昧な仮説で決定打には欠けています。

なので、私も証拠があるわけではないですが、参考文献から”実験台”説を唱えたいです。

まずこの作品で最も特徴的な”うねり”。それまでの作品で全く見られなかったわけではなく、服や髭など一部分には見られました。

フィンセント・ファン・ゴッホ「ジョゼフルーランの肖像」 ©Wikipedia

しかし、これだけ大胆に全体をうねらせたのはこの作品が初めてのはずです。ゴッホはそれまでも多くの絵で実験を行っていて、同時期の新印象主義スーラの点描画や日本の浮世絵から強い輪郭線・平面構図などさまざまに吸収しています。

フィンセント・ファン・ゴッホ「レストランの内部」 ©Wikipedia

もちろん、先輩画家である大好きなドラクロワ、ミレーなどの絵は多く模写しています。さらには、色彩の勉強のために毛糸玉を愛用していて、16個のカラフルな毛糸玉を並べたり、別の色同士で巻いたりなど、色の組み合わせを研究していました。

このようにゴッホはとにかく「勉強熱心な画家」です。そのゴッホが集大成的に編み出したのが、”うねり”だったのではないでしょうか。

では、なぜ”うねり”なのでしょうか? ここで、ゴッホがこの絵で描いたものの話に戻ります。この絵に描かれているものは、端的に言えば「ゴッホの好きなもの×記憶×感情」です。

ゴッホの好きなもの

ゴッホはこの時期、「糸杉」に魅せられていて、テオへの手紙の中でも、「エジプトのオベリスクのような美しいラインとプロポーションに心を奪われている。」と記しています。

ゴッホの記憶

実はこの絵にある、糸杉はゴッホのいた病室からは見えませんでした。さらには、実際には町並みもゴッホの東向きの部屋からは見られず、教会の尖頭は故郷オランダのものでした。それまでのゴッホは基本的に見えている対象物を描くタイプでしたが、ここでは明らかに記憶や望郷の念が入り混じっています。

ゴッホの感情

この時期、最もひどい精神状態からは脱却し、良好になっていましたが、「星月夜」を描いた時期の手紙には何かにつけメランコリー(憂鬱)がある」にという記載があります。実際、精神的に病んで入院。お金もなく、絵は全く売れずに弟・テオの仕送り頼り続ける日々、という大変苦しい状態でした。

統合すると、描きたい「糸杉」を主軸に、病室から見える夜空へ、記憶にある町並みを添え、その時の感情をより濃く描き出すために”うねり”を強調したのではないでしょうか。

私は、この絵を見ていると美しいという感覚と共に、どこか悲しさ・寂しさを感じざるえません。その感情ほとばしる”うねり”を実験的に取り入れたのが、本作の正体ではないかと筆者個人は思っています。

ちなみに、この絵では、それまで輪郭線のみに使っていた黒を色彩として大胆に使っています。厚塗りの筆触に、自由な色彩、そこに”うねり”という表現が相まってゴッホは唯一無二の画家に覚醒したのでした。

星月夜がその後の芸術に与えた影響

ゴッホがその後の芸術に与えた影響は計り知れませんが、最大のポイントは、目に見えたものを描くではなく、そこに主観的な感情などを込めて、自由に表現するという手法ではないでしょうか。

ゴッホ自身がそう望んだのではなく、精神的な病があったからこそとも言えますが、結果的にゴッホの前と後で、絵画の世界は分けられるほどです。ゴッホの見かけの正確さよりも、意図的に感覚を表現するという考え方は、やがて20世紀にアンリ・マティスを代表とする「野獣派(フォービズム)」へと受け継がれたのでした。

またゴッホだけでなく、ゴーギャンやセザンヌといったポスト印象派の御三家と呼ばれるこの3人が絵画をより自由せしめたと言えます。

星月夜はどこで見れる?

出典元:eticJOUNAL

「星月夜」が観られるのは、NYにある「MoMA(ニューヨーク近代美術館)」です。

なお、もう一つの星月夜として有名な「ローヌ川の星月夜」は、パリの「オルセー美術館」で観られます。

【まとめ】世界一有名なのに誰にも見えない夜空

ゴッホ好きとして、色々と熱く語ってしまいました。ゴッホの面白いところは、彼が残した多くの手紙(その数2,000通)にあります。

あれだけ濃い人生を歩み、素晴らしい作品を残した偉人ですが、赤裸々に本人が色々と書き残してくれています。

しかし、「星月夜」については、記載がほとんどありません。特に気に入ったものはテオに手紙で残していたことから、ゴッホ本人はそれほど気に入ったわけではなかったのかもしれません。

そんな誰にも完全には理解できない、見えない夜空が、実は”世界で最も有名な夜空”になっているなんて、ゴッホが知ったらどう思うのでしょうか。

あなたは、「星月夜」に何が見えましたか?

参考文献
「ゴッホ作品集)」- 富田 章
「ゴッホへの招待」 – 友澤 和子
『ゴッホ原寸美術館』 – 圀府寺 司
『ファン・ゴッホ アルルの悲劇』 – 山口 昭男

「ファンゴッホの手紙」 – 二見史郎・圀府寺司

YuRuLi
サイトの管理人
TOKYO | WEB DIRECTOR
Youtube登録者19万人。
本業以外に、日常に溶け込むプレイリスト動画の作成や音楽キュレーションの仕事も。音楽、ガジェット、家具、小説、アートなど、好きなものを気ままに綴っていきます。自分の目や耳で体験した心揺れるものを紹介。

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