90年代の隠れた名作『グッド・ウィル・ハンティング』をご存知でしょうか。
マット・デイモン、ロビン・ウィリアムズ、ベン・アフレックと名役者たちが名を連ねる本作。
そこには、人生を豊かにする名言の宝庫と言っても過言ではないほどに、優しくもエッジの効いた台詞の多くが散りばめられています。30年近くの時を経てリバイバルされた今、この作品は我々観客になにを問うてくれているのでしょう。
セラピー映画としての側面も強い本作にならい、読者の皆さまがこの映画の名言から自己内対話ができるような記事にしていきたいと思います。
『グッド・ウィル・ハンティング』のあらすじと見どころ
数学教授ランボーは、教え子たちが苦戦していた証明問題を、清掃員の青年ウィル・ハンティングが完璧に解いたことを知り驚愕する。
天涯孤独なウィルは幾度も里親が変わるなかで愛を知らずに育ち、傷害事件などの問題行動を繰り返していた。ウィルの才能を認めたランボーは、彼を更正させようとセラピーに通わせる。
ランボーの紹介で、心理学者ショーンと出会ったウィルは、最愛の妻を亡くし深い悲しみを抱えるショーンとの交流を通し、自分自身の心の傷と向き合うようになっていくが….
本作最大の魅力は、主人公であるウィルのその才能だけにフォーカスした物語ではないことです。いわゆる”ギフテッド”と呼ばれるような、並外れた頭脳の持ち主をメインキャラクターに据えながら、主軸は誰もが思い悩む「生き方」そのものを描いています。
生まれや周囲の環境、天から与えられしハンデやタレントは関係なく、善く生きるとは何か、臆さず生きるとはどういうことか、そんな明日のための一歩を伴走してくれるような作品です。
中でも、たびたび本映画が名作と称される理由は、劇中で軽やかに放たれる台詞の数々にあります。
特にロビン・ウィリアムズ演じる心理学者のショーンがウィルに問いかける多くの台詞には、映画の枠を超え、観客である我々がセラピーを受けているかのような豊かすぎる一幕と感じられるでしょう。
次項では、筆者の好きな台詞とともに、少しばかり皆さん自身の人生も振り返るような時間にしてみたいと思います。
この映画の名言と対話してみませんか?

ここでは、筆者自身が本映画鑑賞中に、思わず自分自身の”生き方”を振り返ってしまった名言を3つ紹介しましょう。
前後の文脈やネタバレは極力省き、映画の鑑賞前・鑑賞後問わず、読者の皆さまが自己内で対話できるような時間にしていただけたら幸いです。私もそうして、この映画に幾度となく救われました。
⒈「答えを知らないんだろう?」
天才的な頭脳を持つウィルに対し、カウンセラーのショーンが挑発的にこう問いかけます。
「君は何を聞いても、ああ言えばこう言う。なのに “自分が何をしたいのか?” こんな簡単な質問に答えられない。答えを知らないんだろう。」
初手からどストレート過ぎる台詞となりますが、本作の中で最もシンプルかつ核心をついた問いかけです。
我々はウィルほどの類まれな頭脳を持ち合わせていないにせよ、自分の生活の範囲内で巻き起こる大概のことに対しては、ある程度の答えを用意しています。
なんでこの学校に行ったの?なんでこの仕事をしているの?なんでここに住んでいるの?
しかし、今あなたは何をしたいの?という、漠然とした問いにスッと返答できる人は一体どれほどいるのでしょうか。
劇中のウィルも、我々も、きっと声を詰まらせることと思いますが、身近なところからゆっくり考えてみたいものですね。
今日の夕食は何を食べたいか、次の休みに何をしたいか、映画を観ることで何を感じたいのか、そんなところから始めてみてもいいのかもしれません。
⒉「問題はお互いにとって完璧かどうかだ。」
しかしショーンは、必ずしも挑発的な言葉だけを投げかけるわけではありません。劇中では、自己開示に苦悩するウィルへ向かい、優しくも彼の自発的な行動を促す一幕として、こんな台詞を放ちます。
「君は完璧じゃない。そして、君が出会う人も完璧じゃない。問題はお互いにとって完璧かどうかだ。」
生きる上で起こる問題のほとんどは、人間関係です。
ウィルのような才能を持ってしても、家族に悩み、恋人に悩み、友に悩み、仕事仲間に悩みます。
すると、どうでしょう。痛みを知ってしまった者や器用に物事をこなせてしまう者ほど、人との関係を避け、大切なことはすべて独りで完結するように選択してしまいがちです。
筆者もこれを”自立”と思っていましたが、本当の意味での自立は、何でも独りで完璧に出来ることではなく、自分の欠点が誰かの完璧に足る事実を知ることなのかもしれません。
あなたの癖は、誰の喜びに繋がっていると思いますか。誰かの欠点に、あなたが救われていることはありますか。
そんな視点を持つことができたら、ちょっとばかり生きるのが楽になるかもしれませんね。
⒊「君にシスティーナ礼拝堂の匂いは語れないだろう。」
また別の場面。本作の舞台であるボストンの街から出たことがないウィルに対し、ショーンが強かに語ります。
「美術について問えば、君は本から得た知識を、並べ立てるだろう。ミケランジェロのことも知り尽くしている。数々の偉業、法王との軋轢、性的嗜好から作品まで。だが、君にシスティーナ礼拝堂の匂いは語れないだろう。そこに立って、あの美しい天井を、見上げたことがないから。」
簡単に言ってしまえば、「井の中の蛙大海を知らず」ということを、名優ロビン・ウィリアムズらしい洒落た言い回しで表現したことに過ぎない台詞ですが、ここでは単に「視野が狭いこと」を自戒するのではなく、自分がこれまでの人生で感じた生々しい想いを、どれだけ咀嚼できているか、ということを考えたいと思います。
ボストンの街を出たことがなくてもいいんです。ただ、あなたの人生はあなただけのもの。そこで感じ得たさまざまな感覚を無駄にしてはいないだろうかと、私はそう問われているような気がしました。
他人と比べ、どれだけ恵まれない人生だと悲観しても、あなたの思想はあなたにしか語れないものです。すごいものとか、特別なことではなかったとしても、自分にしか語れない世界があるということを意識するだけで、ふっと重荷を下ろし、自身のことを赦せるような感覚になるのかもしれません。
いかがでしょうか。
劇中には、この他にも人生を豊かにする名言で溢れています。映画を通して、個々人の生き方を振り返るような時間を育めたら、これほどまでに素敵なことはないと思いませんか。
タイトルが意味すること

最後に本作品のタイトル『グッド・ウィル・ハンティング』の解釈について、読者の皆さまと共有しておきましょう。
お察しの方もいるかと思いますが、本作品のタイトルはダブルミーニング、いや、トリプルミーニングの読み解きすらも可能な、秀逸すぎる意味が与えられています。
原題は同じく『Good Will Hunting(グッド・ウィル・ハンティング)』ですが、直訳すると…本作の主人公、マット・デイモン演じる「ウィル・ハンティング」の名前を取って「優れたウィル・ハンティング」となります。天才的な頭脳の持ち主であるウィル・ハンティングを的確に表現したタイトルです。
しかし単語の区切り方によっては、もうひとつの意味が完成します。実は「Goodwill」の一単語で「善意」や「善行」という意味を持っているのです。つまり、「Goodwill Hunting」で「善意や善行の探求」という解釈もできるわけですね。
ウィル・ハンティングの才能を描くだけでなく、彼の生き方や精神性の在り方を問うヒューマンドラマの側面も見えてきます。
そしてもうひとつ、最近ではあまりメジャーな表現ではなくなってきているようですが、「Good Hunting」で「幸運を祈る」「健闘を祈る」といった応援のワンフレーズとしての意味をも含んでいます。
ウィルに対してか、ウィルから我々観客に対してか、そんな成功を祈るメッセージが込められていると知れば、映画を最後までご覧になった方にとっては、思わずぐっと目頭を押さえてしまうような解釈にもなっているはずです。
駄洒落といえばそれまでですが、タイトルひとつを取ってみても、様々な解釈の余地がある面白い作品です。
【最後に】映画に”答え”はないけれど

さて、聞くところによると、本作品は主演のマット・デイモンと、彼の親友役(※現実世界でもふたりは親友)であるベン・アフレックとが自ら脚本を作り、当時新進気鋭の映画スタジオ・ミラマックスに売り込んで出来た映画だそうです。マット・デイモンがハーバード大学在学中、授業の課題で書いた40ページにも渡る戯曲がその出発点だと言われています。
そんな制作秘話を聞くと、一体どこからが映画で、どこまでが本当の話か分からなくなってしまいそうですが、役者自身がその目で見てきた世界のリアルを映し出す作品は、最新の映像技術や巨額の製作資金だけでは到底敵わない、深い魂の叫びや、微細な感情の揺れに触れることができると、私は感じています。
その意味で『グッド・ウィル・ハンティング』は、漠然と「何をしたいのか分からない」などと悩む我々に対し、うるさい教訓ではなく、知らない世界をみせてくれる ― 映画の台詞にならっていえば「システィーナ礼拝堂の匂い」を嗅がせてくれるような作品であると思っています。
映画の中に答えはありませんが、映画をきっかけとして答えに辿り着くことは往々にしてあります。
数々の名言やタイトルから読み解ける、この何層にも分かれて含蓄ある本作に、少しばかり身を委ねてみてはいかがでしょうか。




