ムンクの「叫び」はなぜ世界的に有名になったか解説!その叫びは地理的要因にあった

世界中で誰もが知るエドヴァルド・ムンクの傑作『叫び』。私は学生の時にNYでこの絵を直接観たのですが、数分観ているとめまいを起こしそうになったのを覚えています。その当時の感想は、「狂気に飲まれた画家が描いた不気味な作品…?」でした。

事実、ムンクは幼くして母や姉を失い、この時期に精神的な病を患っています。さらには恋人には銃で撃たれそうになった逸話まであり、それを踏まえると、『叫び』はやはり”狂気の結晶”のように思えます。

これだけ世界的な知名度を誇る『叫び』ですが、詳しい制作背景や有名な理由は世間では語られていません。その狂気にはどのような秘密があったのか深ぼっていきましょう。

筆者:ゆるり

「正確に、けれども面白く」をモットーに
アートの世界を紹介するアートライター

目次

ムンクの『叫び』の見どころと制作背景

そもそも手前の人物は”叫んで”いない

『叫び』 エドヴァルド・ムンク ©Wikipedia

ゴッホの『ひまわり』やモネの『睡蓮』のように世界的な美術アイコンの一つとなっているムンクの『叫び』。

その正体は、ムンク自身がオスロの高台で経験した言いようのない「不安」「絶望」の声を聞いた衝撃です。

私はふたりの友人と道を歩いていた。そのとき、太陽が沈んだ。突然、空が血のように赤くなった。(中略)私の友人は歩き続け、私は胸に広がる傷を負いながら慄いていた。大きな無限の叫び声が、自然を貫いて響くのを感じた。――エドヴァルド・ムンク

ムンクのこの言葉を知らなければ、『叫び』はとは画中の人物が叫んでいると考えてしまいますが、実際はムンク自身が自然の叫びを聞いて、それを両手で聞こえまいとしている状態です。

ムンクの怯えなどはどこ吹く風で遠ざかっていく友人ふたりが、よりムンクの孤独を強調しているように感じます。

画像では見えませんが、画面左上に、鉛筆で「狂人にしか描けなかっただろう」というかすかな書き込みがあります。 これこそ「ムンク=狂気の画家」と世間が信じる理由の一つとなっています。

当時のムンクは”脱印象派”後の「不安の時代」

ゴッホが亡くなる前年の1889年にムンクは地元ノルウェーからフランス・パリへ留学しにきていました。この時代は印象派全盛期

ムンク自身も印象派の影響を明らかに受けた作品を描いています。

『ラファイエット通り』 エドヴァルド・ムンク ©Wikipedia

構図だけでなく、粗いサッサッという筆触に明るい色彩。さらには新印象派スーラなどの点描画を描いていたりも。

『カール・ヨハン通りの春の日』 エドヴァルド・ムンク ©Wikipedia

しかし、印象派的な様式では、自身の内面を語りえないと悟ったムンクは『春』という作品を境に印象派離れを宣言します。

『春』 エドヴァルド・ムンク ©Wikipedia

『春』で、私は印象派とリアリズムに別れを告げた。――エドヴァルド・ムンク

翌年の1890年、父を亡くした当時のムンクが描いた作品『サン・クルーの夜』では、印象派では描きえないような悲哀ただようメランコリックな夜の風景を描いています。

『サン・クルーの夜』 エドヴァルド・ムンク ©Wikipedia

ムンクのみならず19世紀末になると、芸術は客観的に現実を描写する印象主義から、主観的に内面世界を捉える象徴主義へと変わっていきます(ゴッホの心象表現もまさにここですね)。

特にクリムトやエゴン・シーレ、ムンクは「世紀末画家」と呼ばれる世代で、特徴としてエロス(性愛)とタナトス(死の欲動)をテーマに描いている画家たちでした。

そんな世紀末画家の代表であるムンク、彼は『叫び』を描いた1893年の翌年、精神分裂病と診断されます。ただ、急に精神分裂病になったわけではありません。ムンクは幼い頃から家族を結核で次々と亡くし、自身も虚弱体質。「自分もいつか狂ってしまうのではないか」という血筋への根深い恐怖を持っていました。

叫び声には地理的な要因があった

舞台となったエーゲルベルぐの高台(現在の様子)©PopSpots

ムンク自身が「自然の叫び」を聞いた体験が本作の制作背景と語っています。この体験の背景には、生々しい地理的ファクトがありました。

絵の舞台、ノルウェーの首都オスロにある「エーケベルグの高台」。フィヨルドを見下ろす美しい場所です。しかし当時のここには「屠殺場」があり、すぐ近くには重い鬱病を患うムンクの妹が入院する「精神病院」がありました。

ムンクがここに来たのは妹の見舞いのためであったろうと言われていて、動物たちの断末魔の叫びや、精神病院から聞こえてくる悲鳴が、ムンクの聞いた”叫び声”の正体ではないかと推測している研究者もいます。

元々もっていた内側から湧き上がる発狂、それが現実の不穏なノイズとピタリと重なり合った瞬間。彼は耐えきれず、必死に両手で耳を塞いだのかもしれません。

不安を視覚化する強烈な線と色彩のトリック

『叫び』、目に見えない感情や内面の不安を形や色として視覚化した「表現主義」の先駆けと言われています。 つまり、「スマホのカメラで撮影した景色」ではありません。「パニックに陥った人間の脳内で再生されている主観的な映像」をそのまま出力した絵です。

それを「直線」と「曲線」の対比で表現しています。

画面を斜めに鋭く走る橋の手すり。極端に強調された遠近法が描き出す、鋭い直線。この勢いよく後退する直線が、背景の2人の人物を一気に遠ざけ、取り残された人物の孤独感と緊迫感を極限まで引き上げます。

対する「曲線」。空や雲、海、それに髪のない人物の身体。すべてが波打つように歪んでいます。 世界がぐにゃりと崩れていく不安定な曲線のなかに、鋭い直線を割り込ませる。さらに”色彩の叫喚”とでも呼べそうな血のような赤と終わりのない絶望の青。線だけでなく色も極端な対比表現がされいています。この知的な視覚の仕掛けにより、「誰が見ても身震いする不安」を画面に定着させました。

誰の顔でもないからこそ、世界中の「不安の器」になった

この作品を世界的な作品たらしめた最大の要因、それは中央の人物の「徹底的な抽象化」です。

もしこれがリアルな写実的肖像画なら、ここまで世界中で語り継がれることはなかったでしょう。髪の毛をなくし、性別も年齢も人種もわからない、幽霊か泥人形のような姿。

特定の個人の顔ではない。「誰もが自分を重ね合わせられる顔」です。 この没個性的デザイン。だからこそ《叫び》は国境や時代を軽々と超え、現代の「😱」という世界共通の絵文字にまで採用される絶大な普遍性を獲得しました。世界中の人々が抱えるストレスや孤独、疎外感。それをそっくりそのまま受け止めるための、巨大な「不安の器」と呼べそうです。

しかし、実は元々書いていた初期段階では、人物はもっと具体性を持っていました。

『絶望』 エドヴァルド・ムンク ©Wikipedia

この作品であれば、ここまで世界的に有名にならなかったと思いませんか?

最初の構想から2年以上試行錯誤を繰り返し、これほど論理的で普遍的な表現を構築してみせた。このことがムンクを世界的な画家にしたのではないでしょうか。

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