こんにちは、ライターのMizuhoです。
ぱっと目を引く表紙とタイトル。
これは仏教の本?哲学書?何?と思い、ページをめくってみたところ、大変ショックを受けました。
「私が10代の頃に散々悩んだこと、2500年前に回答あったんだ」と。
ですので、時間を無駄にした私が、この本から得たことをなるべく簡単にシェアします。そして、「自分とか、ないから。」を読みたいと思ってくれる人が増えればいいなあという気持ちも込めて、記事にしました。
東京でひっそり暮らすアラサーOL。趣味は人間観察と面白いこと探し。嫌いな言葉は「努力」と「忍耐」。30代で新しくできたあだ名は「分析」。
【概要】 『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』
東洋哲学は劇薬である。
効果はすごい。でも、取り扱い方を間違えればめちゃくちゃ危険。
しんめいP 「自分とか、ないから」 ーはじめに
サイズ | 18.8 x 12.9 x 2.3 cm |
ページ数 | 352 |
値段 | 1,650円 (税込) |
どんな本?
『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』は、インド・中国・日本から計7名の哲学者の教えを、一般人が読みやすいようユニークにまとめてくれている本です。
筆者は東洋哲学の権威ではないものの、10代からあらゆる哲学に触れ、今回、本著を書く際も東洋哲学を教えている教授や、現役の僧侶の方へ確認をとるなど、慎重に書かれた一冊だそうです。
「自分とかないから」という答えに対するゴールまでの過程が違うので、自分に合う考え方を探してみてね。というスタンス。7名の哲学を、ユーモア溢れるかたちで紹介してくれているので、心に優しくて面白い東洋哲学入門本です。
また、筆者の体験談と共に紹介してくれているので、東洋哲学を日常生活にどう落とし込むのか?という部分も想像つきやすいのが魅力です。
作者について
1988年、大阪府出身。東京大学法学部卒業。大手IT企業「DeNA」に入社し、海外事業で世界中を飛び回るも退職。鹿児島県長島町に移住し、教育事業に従事するも退職。芸人として「R-1グランプリ」に出場するが1回戦で敗退し引退、無職に。離婚も経験。引きこもって布団の中にいたとき東洋哲学に出会い、衝撃を受ける。そのときの心情を綴ったnote「東洋哲学本50冊よんだら『本当の自分』とかどうでもよくなった話」が少し話題になり、なぜか出版できることになり、今にいたる。
著者が本著について語っているポッドキャストもありますので、ぜひ聴いてみてください。
【3分で要約!】『自分とか、ないから。』
この本に書いてある7名の哲学について、なるべく分かりやすく簡単に紹介します。
1人目は、東洋哲学の祖・インドのブッダ。別名お釈迦様です。
「本当の自分なんてないので探すだけ無駄。全てが変化していくのだから、自分の変化も受け入れましょう。だって全ては繋がっているのだから。」という「無我」を提唱しました。
素晴らしい教えを残しこの世を去ったブッタ。ただ、弟子達がシンプルな教えをゴチャつかせ、200巻くらいの論文を作りました。結果、庶民は理解できなくなりました。
2人目は、インドの龍樹(リュウジュ)。
彼は、700年後に、ブッダの弟子たちが複雑化した論文を、たった1文字「空 (くう) 」と要約しました。空とは、「この世はすべてフィクションである」ということです。なぜなら、私たちは「ことばの魔法」にかけられており、「すべて幻なんだから悩みは成立しない。だから悩むことが無意味である。」という、上司にしたいランキング1位の人です。
3人目、4人目は、中国の老子と荘子です。
彼らは龍樹が「空」を発表した頃、「道 (たお) 」を発表しました。道とは、「宇宙を生み出す根源」です。どんな小さなことでもこの道の流れのなかにあるということです。
荘子は「蝶々の夢見たときに、あまりにも自分が蝶々で、起きた時に荘子だったから、自分が蝶々なのか、荘子なのかわかんなくなっちゃった。」的な言葉を残しています。
現実も夢も一緒で、すべては道に繋がっているという解釈です。
意味わからないですよね。老子自身も「道とは言葉で説明できない」と残しているので分からなくて当然です。解釈が難しいので、私なら理不尽なことを言われた時にだけ思い出すようにします。「道」の前ではこの人も私も全員一緒だしな。「まあいっか。」と思うことでで心に平穏が訪れるはず。
あれ?「空」と「道」似てない?と思った方へ。
空と道は似てるのですが、根本が違います。インド哲学の基礎的な考えは、「クソみたいな世の中から解放される方法を考える」的な感じ。中国哲学は、「楽しく生きて行くためにはどうするか!」という感じです。
ここで、どのように空や道の境地まで辿り着くのか問題が浮上します。
5人目の達磨 (だるま) が登場します。達磨は「禅」を広めました。禅は「言葉を捨てる」に徹底します。
インドから、中国へ禅を広めるために渡った彼は、言葉を捨てまくって広めました。「ことばの魔法」にかかっているなら言葉を捨てちゃえばいいじゃない。ってことです。
日本ではどうやって空の境地に辿り着くのか?という課題に対し、代表的な二つの答えが出されます。
6人目の浄土真宗の宗祖 親鸞 (シンラン) は、僧侶にあるまじき行動をとったり、自分自身を愚禿(アホなハゲ)と称するほどダメ人間の道を極めた他力の哲学の人です。「ダメなやつほど救われる!」「”無”であること認めると、空の方からやってくる」という理論を展開しました。
最後の7人目が、真言宗の宗祖 空海 (くうかい) です。「密教哲学」を学び、超ポジティブ哲学を日本に広めました。
空海の広めた密教は、悟ったらすべて繋がるので、「現実」や「夢」から抜け出して「生命の秘密」と一体化しよう!という哲学です。中でも「大我」という概念が印象的です。大我とは、自分が「フィクション」であるのなら、もっと大きい自分になりきろう!という理論。
空海の理論は、欲を全肯定してくれます。「欲」をもっと大きくしちゃおう!という考えです。
要するに「お金が欲しい」だけではなく「お金を得て人を助ける!」まで広げちゃいます。自分の欲で得たものを他者に広げていくことによって、いつしか「自分」と「他人」の境界線がなくなり、「自分」がなくなるのです。*空海の話をもっと知りたい!と思った方は、こちらで少しだけ深掘りしておりますのでご覧ください。
すべてを非常に簡潔に説明してしまったため、大事なところや深い部分はぜひ「自分とか、ないから。」をご確認ください。
ここからは私のお気に入りの3人であるブッタ、龍樹、空海を紹介しますので、時間があれば見ていってください。
一旦ここまででOK!という方は、私の感想を読んで帰ってくださったら嬉しいです。
【少し深掘り】わたしの推しを紹介します
インドの王子様ブッタ aka. お釈迦様の哲学
2500年前にインドの大金持ちの家に生まれたブッタさんは王子様で、何不自由ない生活を送っていたそうです。ですが、ブッダ(29)はアラサーで、虚無感に苛まれ、自分探しの旅に出ました。現代で言う出家をしたのです。
当時インドでは、「自分を痛めつけまくったら本当の自分が現れる」という風潮があり、ブッダもその修行に挑戦してみました。
ブッダは6年間ものあいだ、苦行をめちゃくちゃ頑張りました。誰よりも頑張ったのに、本当の自分が全然出てこなかったようです。そこで気がつきます。
「もしかして、これ意味ないんじゃね?」と。
そして方向転換して新しい自分探しをしようと思ったのですが、修行中なので、断食もしていますし、体力がなく、ふらふらの状態でした。
その時に、地元のギャルがブッダにおかゆをくれました。断食してる人に、近所のギャルがおかゆを差し出したのです。
ブッダは迷いました。だって修行中だし断食してるので。迷った挙句、「食べる」選択をしました。
結果、気力と体力は回復し、元気100%に。その状態で木の下で瞑想し、ブッダは悟りました。
「本当の自分とは何か?」についての答えを見つけたのです。
答え:「無我」=「自分なんてない。全ては繋がっている」
何と?そう、宇宙と。
自分をよく観察すると、自分以外のものから成り立っていることに気が付くのです。例えばトマトを食べたとき。私たちはトマトを食べて栄養を得たことになります。酸素だって太陽と植物があるから吸えています。私たちは自分以外のものから成り立っているのです。
天気が悪いとなんだか心が憂鬱になるし、気圧で頭痛が起こるし。「自分」というものをよく考えてみると、悲しいほどにすべてと繋がっているのです。
そこの極論が、「自分」というものはない。ということです。
あるわけがない「自分」を探すから苦しい。宇宙規模で変化していく世界で「変わらない自分」であろうとするから苦しい。
理に適いすぎています。さすがブッダ。
インドの論破王 龍樹 aka. ナーガールジュナの哲学
龍樹 (リュウジュ)は、インドの全学者を論破し、ブッダの教えを「空」のたった1文字でまとめ上げてしまった大天才です。
若い頃は超悪ガキでしたが、インド最強の論破王となりました。
「空」は、「ことばの魔法」にかけられているので、言葉がなくなれば全て幻(フィクション)であると説いています。果たして残る結果は虚無なのか?いいえ、答えは「全て繋がっている」なのです。
ここで連想ゲームが始まります。
自分=トマト=土=水=太陽=地球=宇宙。自分=空気=草=太陽=地球=宇宙。すべて繋がっています。
もう説明するのさえ億劫になってきます。言葉にできないです。
たとえば、ある愚かな人がぬかるみを自らつくって、(そこに)落ち込むように、人々は超えがたい邪な考えのぬかるみの中に沈んでいる
体臭についての二十詩句篇10 ( 自分とか、ないからP132)
龍樹は、言葉や概念を捨ててしまえば、自分でさえフィクションなことに気がつくので、「私は弱い」とか「私はダメ人間だ」と悩むことが全部無駄であると、論破してきます。
すべて繋がっているのに、比較して卑下するのは無理で、他人を愚弄する人はアホなんだと。
フィクションから自分が離脱してしまえば、その現実は消えるわけです。逆も然り、ということです。
私は、これを読んで「お別れがあると、その日がやけにドラマチックに感じるのはこのせいか。」と妙に納得してしまいました。アニメでいう、シーズン2に突入していた瞬間だったんだ。と。
私はこの瞬間が苦手だったので、解決してくれた龍樹の哲学が結構好きです。
天才×陽キャ空海 aka. 弘法大使 の哲学
空海は、日本の真言宗の祖です。真言宗のお寺に行くと、「弘法大師空海」がいらっしゃるので、見覚え・聞き覚えがある方もいるかもしれません。
そんな彼は、中国の一番すごいお寺に留学し、当時流行していた「密教」を短期間でマスターします。そこで、一番えらいお坊さんに、後継者として指名されちゃった天才です。
それだけではなく、「密教」をさらにオリジナルの哲学に変更したのです。
まず、密教哲学は「自分」や「世界」というものから抜け出して、「生命の秘密」と一体化しよう。という哲学です。
生命の秘密は、”ことばにできない” ので「マンダラ」という絵で表現しています。
なんだこれ。っていう感じですが、写真の中央にいるのが「大日如来 (ダイニチニョライ) 」です。
大日如来は、さとった状態=すべてつながった先のブッダです。
「すべてがつながっている」状態は、「言葉にできない」ので、「大日如来」を象徴としているのです。
ブッダは悟ったので、“すべてはつながっている”状態になった=「大日如来」になった。ということは、私たちも悟ると、「大日如来」になります。そして、この世のすべては宇宙とつながっています。
極論、大日如来=自分=宇宙なのです。
腑に落ちるようで落ちない方もいらっしゃると思いますが、一旦飲み込んでください。これは方程式です。
ただ、ここで空海はどうやってこの領域まで辿り着くのか?という方法も示してくれています。
簡単にいうと、「大日如来になっちゃえよ!」ということです。
「自分はないからこそ、もっ大きな存在にもなれる。そう、大日如来にもね!」と。これを「大我」と言います。要するに、ブッダの教えである「無我」だからこそ、「大我」になれるのです。
具体的な方法は”三密”と呼ばれる「身・口・意」という言葉で表されています。身:大日如来と同じポーズで 口:「真言」呼ばれる大日如来と同じ言葉を使い、意:心を一致させる のです。(三密の意:心を一致させる は、密教を修行する人にしか教えてもらえないようです。)
そして、空海の哲学が他の人たちと違うところは「欲、なんぼあってもOK!」という部分です。
今までの教えは、「すべて幻ということに気がついていないので、無いものを追い求めてしまい我々は苦しむ」=「欲は我々を苦しめる」的な部分がありますが、密教はそうではないのです。
「その欲、もっと大きい欲にしちゃおう!」というのが密教です。
「お金が欲しい」を、「お金を得て、他人を助ける」とか、「健康でいたい」を、「健康になって、いつでも困っている人を助けられる状態でいる」等と、自分のためじゃない大きな欲に変更しちゃおうよ!という考えに変換するのです。
その教えを「大欲」と言います。
菩提心を因となし、大悲を根となし、方便を究竟となす。
ーさとりをめざして、慈悲の心を持って、人をすくうのを究極とする
しんめいP 「自分とか、ないから」 ー329ページ
密教において、ブッダの教えを龍樹が1文字にまとめ上げた「空」という境地に到達することが正解ではなく、「他」を助けることによって、境界がなくなり、気がついたら「自分」がなくなっているよ。ということでした。
それってとても気分がいいことなんだよ。ということです。
空海の教えはとても爽やかで、素敵です。かっこいいと思いました。
【こんな人におすすめ】 『自分とか、ないから』が刺さるのはどんな人?
独断と偏見ですが、厨二病の方と、考える余裕がある人におすすめで、本当に悩んでいる人にはあまりおすすめしたくないです。
理由は東洋哲学は劇薬なので、そのまま受け入れてしまったら心配だからです。
特に「密教」に関しては、著者も本著で記載していますが、ヤバい新興宗教に都合よく解釈されがちなところもあるので、少しでも心が元気な人が読むべきなのかなって思います。
自分で考えて、何を取り入れるか?を取捨選択するのが一番良い方法ですので、もし誰かにプレゼントをする場合、お相手に余裕があるかどうかを考えてくれると良いのではないでしょうか。
ちなみに、私は厨二病の人です。
【まとめ】人に言わない方がいい。でも、私は使いこなす。
東洋哲学の本読んでいるというと心配されます。
論理的で正しいと思うのに、腑に落ちない複雑な気持ち。多少なりとも感じるであろうこのモヤモヤを、素直に受け止めることができる人にとっては、東洋哲学は「劇薬」になり得ると思います。
私は無駄に考えることも、言葉も大好きですし、他人の正解を自分に踏襲できないタイプなので、空や道の境地に行けません。
でも悲しいことが起きたら「この世はフィクションだ。全部繋がっているしな。」とか、言葉足らずな人がいて混乱したら、「禅の修行中かも」とか心の中でつぶやいていく予定です。
「楽」に生きるって喜びの瞬間が多くなることなんだな。と思いました。苦々しい気持ちを蹴散らすためにも、偉人の思考回路を都合よく使いこなし、「まあいっか。」を増やします。
あなたが記事をここまで読んでくれてすごく嬉しいです。私に喜びをくれて、「楽」にしてくれてありがとうございました。
ぜひ、あなたも「自分とか、ないから。」を読んで、今よりちょっとだけ「楽」に人生を歩みませんか?