フェルメールは全作品37点しか残っていませんが、そのほとんどが『真珠の耳飾りの少女』のように女性をモチーフにしています。
ところが『天文学者』は、男性が主役。しかも知識人の単身像として。フェルメールがこうした作品を残したのは、この作品と対になる『地理学者』の2点だけです。
この作品の見どころを知ると、フェルメールの高い教養や流行への敏感さが見えてきて。もっと鑑賞が面白くなるはずです。

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『天文学者』とは? まず作品を知る

| 作者 | ヨハネス・フェルメール |
| 制作年 | 1668年 |
| 技法 | 油彩・カンヴァス |
| サイズ | 51.5×45.5cm |
| 所蔵 | ルーヴル美術館(フランス・パリ) |
フェルメール36歳の時の作品。画面はフェルメールらしい窓際の構図ですが、初期の厚塗りで濃厚な筆遣いから、筆跡を残さないふんわりとした穏やかな筆触が特徴的です。
17世紀のオランダでは、天文学や地理学は単なる学問ではありませんでした。海洋貿易で世界と渡り合うオランダにとって、星の動きや地図を読む知識は国家の繁栄を支える実学でした。知識人を描くことは、その時代への敬意でもあったのかもしれません。
3つの視点で解説!『天文学者』の見どころ
超細部までこだわるフェールメールの几帳面さ
この絵の面白いところは、描かれている道具がすべて実在の物と特定できることです。フェルメールはタイトルを見なくても「この人物が天文学者だ!」とわかるよう、証拠を丁寧に描き込んでいます。
男性が手を伸ばしている球体は天球儀。地球儀と間違えやすいですが、星空を表した模型です。

地図製作者ヨドクス・ホンディウスが制作したもので、対作品『地理学者』の地球儀と対でデザインされています。

天と地、2つで「世界のすべて」を表しています。
千足伸行著『フェルメール原寸美術館』によると、机の上の開かれた本は、天文学者アドリアーン・メティウスが1621年に刊行した『天文学・地理学案内書』。

開かれているのは第3章「星の研究と観察」の冒頭ページです。実在する書物の実在するページまで再現しているとは、フェルメールの几帳面さには驚かされます。
天球儀の手前にあるのは、アニメ「チ」でも出てきた「アストロラーベ(天体観測器)」。

航海で天体の高さを測る道具で、当時のオランダ海洋貿易を支えた実用的な器具でした。
江戸発の流行を取り入れた服装
男性が羽織っているガウンは日本を意味する言葉から派生した「ヤポン」と呼ばれる室内着で日本の「打掛(着物の上から羽織る裾の長い豪華な着物)」がルーツです。

17世紀、オランダは鎖国下の日本と唯一貿易を続けられた国でした。オランダ東インド会社の拠点のひとつがフェルメールの故郷デルフト。江戸幕府からオランダに贈られた「打掛」が貿易商人によって持ち帰られ、着やすく防寒着としても優れていたことから富裕層や知識人の間で流行しました。
このガウンは『地理学者』にも登場し、『真珠の耳飾りの少女』のドレスも日本の着物に酷似したデザインだと指摘されています。

実はフェルメールの絵には、繰り返し日本文化の影響が顔を出しています。一枚の着物が、江戸からオランダへ、そしてフェルメールの眼に触れていたことを考えると、なんだかロマンがあります。
モデルからわかる知識人へのリスペクト
この絵のモデルとして最も有力視されているのが、アントニー・ファン・レーウェンフックです。自作の顕微鏡を使って歴史上はじめて微生物を観察した人物として知られています。

フェルメールとはどちらもデルフト出身で同い年。実際にフェルメールの遺産管財人になっていることからも、2人が親しい関係にあったことがわかっています。
「天文学者」「地理学者」は同一人物がモデルと言われていて、実際、絵の中の人物とレーウェンフックの類似も指摘されています。

フェルメールの遺品には蔵書が40冊程度残されていたことが分かっていますが、実際はもっとあったはずだと言われています。この時代の芸術家は、芸術のみではなく教養人として、自然現象や数学、歴史、地理などの知識を誇っています。
事実、フェルメールはカメラの前身であるカメラ・オブスキュラを利用して物や人の位置・角度を綿密に割り出してリアルに描くことをしていたと言われています。
このようにフェルメール自身が博識であり、知への傾倒をしている人物でした。そのため知識に対して貪欲な「天文学者」「地理学者」といった科学者へのリスペクトが、この絵の背景にあったのではないかと考察します。(ちなみにこの時代は「科学者」という言葉はなく、自然哲学者」と呼ばれていました。)

「天文学者」はどこで見られる?

『天文学者』は現在、フランス・パリのルーヴル美術館に所蔵されています。対作品『地理学者』はドイツ・フランクフルトのシュテーデル美術館所蔵です。
ちなみにこの絵は1940年にナチス・ドイツ軍がパリに侵攻した際に押収され、裏面には鉤十字が刻印されました。戦後にロートシルト家に返還され、1983年に遺産相続税の現物納付としてフランス政府に渡り、ルーヴルへたどり着いた作品です。
日本での鑑賞について 2015年の「ルーヴル美術館展」で来日実績がありますが、現時点では来日予定はありません。
ちなみに、以下記事ではフェルメール作品を観てきた感想をつづっているので興味がある方はぜひご覧ください。

17世紀オランダの好奇心が、作品の凝縮されている

この絵を見渡すと、17世紀オランダの好奇心がつまっているように感じます。アムステルダムで出版された書物、江戸から渡った着物、大西洋からインド洋まで描き込まれた天球儀——。
世界への関心が大きく開かれた時代。『天文学者』には、フェルメールのやわらかな光とともに、その空気感が映し出さています。
参考文献
「謎解きフェルメール」-小林頼子・朽木ゆり子
「語りたくなるフェルメール」- 西岡文彦
「フェルメールに隠された次元」- 福岡伸一
「フェルメールの世界」 – ゲイリー・シュヴァルツ
「フェルメール原寸美術館」 – 千足伸行


