マネ最晩年の傑作「フォリー・ベルジェールのバー」鏡の秘密と虚ろな女性の謎を解説

ガヤガヤと喧騒が聞こえてきそうな劇場のバー。そんな騒がしさをよそに、一人だけ時間が止まったように虚ろな表情でたたずむ女性。実はこの女性はお酒と共に並べられた“商品”でした。

印象派のきっかけをつくった近代美術の父・エドゥアール・マネ。彼の最晩年の傑作『フォリー・ベルジェールのバー』の見どころをたっぷり解説します。

筆者:ゆるり

「正確に、けれども面白く」を
モットーにアートの世界を紹介する編集者。

目次

「フォリー・ベルジェールのバー」とは?

『フォリー・ベルジェールのバー』エドゥアール・マネ ©Wikipedia
制作年1881〜82年
サイズ96×130cm
所蔵コートールド美術館(ロンドン)

タイトルにある「フォリー・ベルジェール」とは、マネ自身も足しげく通ったパリに実在したミュージックホールの名前です。猥雑なその劇場では、派手な見世物やお酒の提供だけでなく社交場、そして売春としての場としても利用されていました。

マネと同時代の小説家・モーバッサンの小説では花のパリの象徴としてこの劇場が登場し、以下の描写もされています。

―――それぞれのスタンドバーには、厚化粧のくたびれた売り子が陣取り、飲料水と春を売っている。後ろの背の高い鏡に彼女らの背中と通行人の顔が映っている。
小説「ベラミ」著者ギー・ド・モーバッサンより引用

つまり、この絵はただの劇場の一場面を切り取った「写実的な絵」というわけではなく、当時の社会やそこに生きる人々の欲望や生活が描かれています。

ちなみに、この絵が完成した1882年、マネは足の壊疽(えそ)が進行し外出もままならない状態でした。後半は、アトリエにカウンターまで設け、モデルを呼び、なんとか作品を完成させますが、翌年、マネは51歳の若さで息を引き取ります。

その後、この絵はサロンに出品され大絶賛を受け、マネの名声は不動のものとなりました。

バーメイドの表情が虚ろな理由

この絵の主役がバーメイドと呼ばれるお酒を売る女性。モデルは実際にここで働いていたジュゾンという給仕娘です。

この時代、画家のステータスと言えば、肖像画です。マネは肖像画の依頼をもらっていましたが、同時に依頼がなくとも自分が描きたいものを描く画家でした。そんなマネが集大成の主役に描いたのがこの金髪のバーメイド。

整った顔立ちにぼってりとした官能的な唇。しかし孤独が木枯らしのようにすぎさったとでもいうように虚ろな顔。

彼女たちはバーメイドとしてだけでなく、この劇場に訪れる人が購入する娼婦でもありました。

それをより強調しているのが鏡に映るシルクハットの紳士。本来ならスタンドバーの床はホールの床よりも高いため、彼女のほうが紳士を見下ろしているはずです。

しかし見下ろされているのは彼女のほう。まるで目に見えない階級の上下を示すかのごとく、それは紳士が彼女を見定めていると絵が語っています。

歪んだ鏡の秘密

この作品の最も大きな特徴がバーカウンターの後ろの鏡。パッと見はバーの後ろに多くの人がいるように見えます。

それは鏡がズレていることによる錯覚です。

本来であれば、女性の後ろ姿がこんなに横に来ることはなく、もっと真後ろにくるはずです。

マネが間違えてしまったのでしょうか。

いえ、そんなことはありません。マネは意図的に違和感のあるズレを作りました。事実、下書き時点の習作では、バーメイドの後ろ姿は正確な位置に映っています。

『フォリー・ベルジェールのバー(習作』』エドゥアール・マネ ©Wikipedia

ではなぜ鏡が映し出すものがズレているのか。

それはマネが仕組んだ絵に引き込むための構図であり、同時に絵の「主題そのもの」であるという見方もあります。

鏡の中を見てみてください。シルクハットをかぶった紳士が、バーメイドに話しかけています。もしかしたら彼女は笑顔で応じているかもしれません。でもその取引の内容は、”接客だけ”ではなかった。表情の焦点が定まらないのは、疲れているからでも、ぼんやりしているからでもなく——心の中の空虚さが、そのまま表に出てしまっているからかもしれません。

マネは現実をそのまま描かず、「少しだけズレた鏡」を通して見せることを選びました。現実と鏡像の間にある、ほんのわずかなズレ。

このようにマネは、目に映るモノだけを描くのではなく社会情勢や今を生きる人々をリアルに描いた画家でした。

絵そのものの魅力と評価

鏡に陽炎のように映っているお客さんの中にマネの友人たちが映っていたり、酒瓶にちらっと自分の署名を入れていたりと、意味がなくともマネらしい茶目っ気さが感じらられる作品でもあります。

左のボトルラベルにマネの署名

また知識で鑑賞せず、純粋に作品自体を観てみるのも楽しいです。

まず亡くなるギリギリ前に描いたとは思えません。作風は衰えることなく、マネらしい力強い筆触にくっきりとした黒は健在。

病を得てなお、光を含んだ筆のタッチはさえわたり、まるでスナップ写真のように、パリの夜の瞬間をとらえています。

またバーカウンターに置かれた酒瓶やオレンジの色彩が響きあい、バーメイドの深い紫とのコントラストが見事です。にぎやかな世界から隔離されてしまったかのように女性の孤独感が滲むようにも感じます。

マネ独自の筆触と色使いが抜群で、まさに集大成と呼べる傑作。マネの評価はこの頃すでにピークに達していたこともあり、サロンでも非常に評判がよかった作品です。

【最後に】この絵の裏タイトルはイリュージョン

今回の参考文献

映し出すものが本物とは限らない「鏡」。それを実在したリアルな場やモデルに対し、幻想的な仕掛けで利用しています。作品に裏タイトルをつけるなら、”イリュージョン”でしょうか。

「芸術とはあざむくことである…絵画にはどこかにこれとははっきり言うことのできない謎がなくてはならない」エドガー・ドガ

マネと仲の良かった印象派の巨匠・ドガ。彼のこの言葉はまさに本作のためにあると言えます。

参考文献
「中野京子と読み解く運命の絵」-中野 京子

「もっと知りたいマネ」- 高橋明也
「マネへの招待」- 三宮博信

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