「ポスト印象派の御三家」として名高いポール・ゴーギャン。彼が“遺書”として描いた最大の問題作『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』。
まるで哲学書の一節のようなタイトルですが、死の瀬戸際で生まれたこの絵には、仏教の「輪廻」「解脱」の構造が潜んでいます。
本記事では制作背景とその特異な画面構成をたどりながら、作品の秘密を探っていきます。

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「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」とは

| 作者 | ポール・ゴーギャン |
| 制作年 | 1897–1898年 |
| 制作地 | タヒチ |
| サイズ | 縦139 × 横375 cm |
| 所蔵 | ボストン美術館 |
横幅約375cmというのは、畳およそ2畳分に相当します。この時代の絵画としてはモネの睡蓮を除くと、異常に横長なサイズ。まるで絵巻物のようです。
印象派は目に見えるものを”正確に描く”から脱却し、”印象のままに描く”時代でした。後に続くポスト印象派時代は、ゴッホのように感情を表現したりと内面性にもフォーカスが当たった時代です。
ゴーギャンはポスト印象派の代表の1人として絵に、哲学や思想を表現する画家でした。
そんな彼が死の間際に「人生の問い」を描いたのがこの作品です。
死を前にゴーギャンはこの絵を描いた
1897年12月、タヒチ。ゴーギャンは自殺を決意していました。
治療費もなく、パリからの送金も途絶え、愛する娘アリーヌの死の知らせが届いたのもちょうどその頃でした。借金は膨らみ、病は悪化し、彼が思い描いていた南国での楽園生活は完全に破綻していました。
そんな状況で、彼は死ぬ前に最後の作品を描こうと決めます。(以下はこの時期のゴーギャン)

あなたに言っておかねばならないが、私は12月に死ぬつもりだった。死ぬ前にずっと考えていた大作を描こうと思った。1か月の間、昼も夜も、これまでにない情熱をこめて制作した。___ゴーギャンからモンフレー宛の手紙
ゴーギャンは何の準備もせず、下絵も描かずこの作品を作ったと手紙に残していますが、実際は精密な下絵が見つかっており、上記の手紙からも読み解けるように、実際はずっと考えていた構想を実現したと言えます。
すくなくとも彼の芸術としての集大成と言える作品であったことには間違いありませn。
作品を仕上げた後、彼は山へ入りヒ素を大量に飲みました。しかし量が多すぎたために嘔吐し、自殺は未遂に終わります。遺書のつもりで描き上げた作品でしたが、結果として生涯最後の作品にはなっていません。
右から左へ——特殊な絵の構図の意味
ゴーギャン自身の手紙によれば、この絵は右下から左へと読み進めるように構成されています。
それは偶然ではなく、「誕生から死への歩み」を暗示するための意図的な選択でした。絵巻物を右から左へ読み進めるのと同じ感覚で、この画面も右から左へと時間が流れています。
まず右下に目をやると、眠っている赤ん坊がいます。生の始まりです。その傍らには三人の女性が寄り添い、赤ん坊を見守っているような様子。

画面中央へ移ると、腕を上げて果物を採る若い人物が立っています。それは知恵の樹の実を採るイヴ、ないしはアダムの姿にも重なります。〈ポストン美術館の解説では真ん中の人物は「両性具有」と記載があります)人間が「楽園を失った瞬間」の象徴とも読めます。
ゴーギャン自身、西洋のように文明が進んだ世界ではなく、野性的でプリミティブな土地を目指してタヒチへとやってきていました。

しかし、西洋の植民地化によってどんどん近代化の一途をたどるタヒチを見てゴーギャンは嘆いています。西洋化=堕落のようにとらえていた節があります。
タヒチの土地はまったくフランス的になり、昔の姿は少しずつ消え去ろうとしている。__ゴーギャンからメット宛の手紙
そして画面左へ進むと、死が近い老婆が座っています。「運命を受け入れ、諦めているように見える」とゴーギャンは記しています。

赤ん坊から老婆へ。誕生から死へ。横長の画面に、時間の流れが静かに刻まれています。ただし画面に描かれている情報はそれだけではありません。より仏教的視点で詳しく紐どいていきます。
仏教的視点で読み解くゴーギャンの思想
ゴーギャンは西洋にいたころはキリスト教にまつわる作品を多く描いていました。

しかし、タヒチに行ってから徐々に東洋哲学やインド仏教を取り入れていきます。この作品はアダムとイブの原罪を思わせる西洋的な面もありつつ、仏教哲学が強く反映されています。
画面左上に佇む青白い偶像。両腕を差し上げ、どこか遠くを指し示すその姿は、この絵の中でもっとも謎めいた存在です。ゴーギャンはこの偶像について手紙にこう記しています。

「両腕を神秘的に、リズミカルに差しあげている偶像は彼岸の世界を指し示しているようだ」__ゴーギャンからフォンテナ宛手紙
さらに、この偶像はタヒチの月の女神ヒナ〈再生の力をもつ〉に顔立ちが似ていると言われています。「再生」と「彼岸」の両方を同時に宿した存在という点が画面全体の流れである「輪廻転生」を思わせます。そのため右下から左下に向かってと言いましたが、逆にもなりえます。老婆〈死〉→赤ん坊〈生〉というサイクルにも。
また仏教視点ではもう一つ「解脱」も考察できるモチーフがあります。それは画面中心にいる多色の鳥の存在。
「解脱」とは
俗世間の束縛・迷い・苦しみからぬけ出し、悟りを開くこと

ブッタが残した原始仏教の代表的な経典「ダンマパダ」に記された一文にこうあります。
この世の中は漆黒である。ここではっきりと〈ことわりを〉見分ける人は少ない。網から脱がれた鳥のように、天に至るひとは少ない。__『ダンマパダ』第13章「世の中」より
このように鳥は「解脱」の象徴ともいえます。
上記のフランス語訳でその「鳥」は「l’oiseau」と記されています。そしてゴーギャンが手紙でのこしている「その鳥」もフランス語で「I’oiseau」です。
老婆の横にもトカゲを押さえつけている白い鳥がいますが、こちらは手紙の中で「un oiseau」と記載されています。

ゴーギャンは手紙の中で「その鳥(l’oiseau)は、この偉大なるすべてにおいて、劣等な存在と知的な存在を比較し、詩を完結させる。すべてはその題名に明示されている問題である」と残しています。
ここで言われている「詩」がまさにさきほどの「ダンマパダ」の一文と言われています。
つまり、画面のほぼ中央に位置し、生から死への循環に立ちはだかるように存在する「その鳥」こそ、この題名である『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』を完成させる存在(解脱)だと考察できます。
この絵から画面全体に「苦しみ→解放」という流れが見えてきます。仏教では、人間は生まれ、苦しみ、死に、また生まれ直すという「輪廻」の繰り返しの中にいると考えます。そしてその輪廻から抜け出すことを「解脱」、その到達点を「ニルヴァーナ(涅槃)」と呼びます。要するに、苦しみのループから降りること、です。
このタイトルは死の瀬戸際にいたゴーギャンが自分自身の苦しみのループから抜け出したい一心で作り上げたということなのではないでしょうか。
【最後に】

哲学性を帯びているため、どうしてもすこし小難しい内容になってしまいましたが、お金や愛、健康を失っていったゴーギャンという一人の絵描きが最終的にその”苦しみ”から逃れたかった、その気持ちを描いた作品と言えるでしょう。
特に画面構成にずば抜けた才能があったゴーギャンであったからこそ、1か月たらずでこれだけの大作を作り上げられました。
19世紀末のタヒチから届いたこのタイトル(署名)は、時代を越えて今も問いかけてきます。私たちはどこから来て、何者で、どこへ向かっているのでしょうか。
参考文献
「もっと知りたいゴーガン」-六人部 昭典
「ゴーガンと仏教」- 有木 宏二
「ポール・ゴーガン」- インゴ・F/ヴァルター
「アートライブラリー ゴーガン」 – アラン・ボウネス
「GAUGUIN」 – ロバート・ゴールドウォーター
「ゴーギャンとポン=タヴァンの画家たち」 – オトゥール・パー



