公園で手を繋ぐ母と子、広場で談笑する人々など、日常を繊細な光の表現で彩った”幸福の画家”ルノワール。
「生きる歓び」を描きたかった印象派・ルノワールの有名作品の数々を裏話と共に解説します。

アートが好きで印象派やモダニズムに関する本は30以上読破。月2回は国内外問わず美術館・展示会に行く。好きな言葉は「納得」。
以下記事では、ルノワールの波瀾万丈な生涯について詳しく解説しているので、気になる方はまずこちらからどうぞ。
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【年代順】代表作品とその裏話
ルノワール(1841-1919年)は印象派の中でも特に作品数が多い画家。最も長生きしたモネが2,000点ほどであるのに対して、4,000点以上の作品を残しています。
その中でも特に人気で、代表的な12作品を年代順に紹介します。
『パリジェンヌ』

制作年:1874年
モデルであるアンリエット・アンリオは、当時20歳の駆け出しの女優で、ルノワールのお気に入りのモデル。女性の肌や表情を描くことに長けていたルノワール。女優さんの表情がとても可愛らしく、ルノワール好きだったのでは?と思ってしまうほど絵から愛を感じる一作。
ルノワールが33歳の時の作品。洋服を描くことも好きなルノワールは、よく気に入ったモデルにいろんな服を着せて、描いていました。それは仕立て屋だった母の影響かもしれません。
ちなみに、1852年にパリに世界最古のデパート「ボンマルシェ」が開業しました。この時期にデパートが生まれたことで、庶民もファッションを楽しむ文化が生まれました。
『陽光の中の裸婦』

制作年:1875年
第二回印象派展に出したルノワールの得意な裸婦像。この頃は筆触分割を人物画でも利用していて、特に光と肌の表現のため、体に青や紫系の斑点が出ている。結果的に死体に出てくる「死斑のようだ」と批評されてしまった。
背景の木々は荒々しいタッチで、女性には柔らかい木漏れ日が注ぐ素敵な作品ですが、この頃は印象派と呼ばれるメンバーの絵自体が非難の対象でした。そのため、こういったルノワールの最先端な表現はなかなか受け入れられず、ルノワール自身も非常に落ち込んでしまったようです。
昔から好まれた主題として海から生まれたヴィナスがいます。古典作品も好きなルノワールは、もしかしたら現代版「印象派のヴィナス」を描いたのかもしれません。
『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』

制作年:1876年
ルノワールが35歳の時に描いた代表作であり、世界で最も有名な絵画の一つに挙げられる作品。ゴッホやドガ、後にはピカソなど多くの芸術家が住んでいたパリ「モンマルトルの丘」。そこに実在した庶民が集うダンスホール「ムーラン・ドラ・ギャレット」を舞台にしている。
筆触分割を用いて、木漏れ日やグラスに反射する光の動き、人の表情を繊細に明るく捉えた非常に素晴らしい絵です。しかしこの頃のルノワールはまだ評価が低く、この絵も散々に批評されます。
木漏れ日が当たっている部分を「この人は頭が禿げているのか」「服にゴミみたいの付いてるけど誰もとらないのか」などと辛辣に。
売れなかったこの作品は、印象派仲間でみんなを金銭的に支えたカイユボットが買ってくれます。
パリで実際にこの作品を見てきたので、以下記事で写真と共に紹介しています。

『ぶらんこ』

制作年:1876年
ルノワールが印象派全盛期の時の作品。衣装にも小道にも、木立にも光の斑点が蝶のように舞っている。印象派が得意とした筆触分割のタッチで、ルノワールの中でも人気作品。黒は使わず、影も青くすることで、光の柔らかさが存分に表現されている。
実は、19世紀半ばまで、母親が子供の面倒を見て、おもちゃを買ったり、公園に散歩に行くことは普通ではありませんでした。ほとんどは乳母が面倒みるか、里子に出されていたためです。
1835年のパリの「大改造」で、公園などインフラが整備され、公園や並木道などもつくられ整備。それまで危険だった公園なども整備され快適な場所となったことで、散歩も余暇の一つになりました。そんな時代背景もあり、ルノワールの描く母と子が散歩をしている様子なども生まれました。
『草原の坂道』

制作年:1877年
数としては多くないルノワールの風景画。人物をメインにせずともルノワールの柔らかで繊細、きめ細かい筆触が存分に発揮されている。母親がさす日傘や服装から、親子が都市に住んでいる人間だとわかる。
パリから鉄道で15分ほどにある「アルジャントゥイユ」に住んでいたモネの家を、ルノワールは度々訪れています。
本作はそこで、二人で描いた作品であり、モネも同様の画角で描いています。

ルノワールと比較して空の面積が広く、赤色のひなげしがより印象的に配置されています。捉える視野が広く、さすが風景画のモネ。
ちなみにパリのオルセー美術館で本物を鑑賞しましたが、木々や草むらの繊細な色表現がたまらなかったったです。やはりすごいルノワールさん。

『シャルパンティエ夫人とその子供たち』

制作年:1878年
売れない画家であったルノワールを金銭的に大きく支援したシャルパンティエ夫人を描いた一作。世間的に不評であった人物への筆触分割を肌には用いず、背景や服のみにしたことで、サロンなどでも大評判だった。ここから売れ始めるルノワール。
豊かな経済力を背景に多くの芸術家たちのパトロンになっていたシャルパンティエ夫人。サロンを開きそこでルノワールも各界の名士、実業家、政治家、文学者と出会い社交の場を広ろげました。
当時、ジャポニズムが非常に流行っていたため、ブルジョワ層では、日本のアンティークが部屋のインテリアとして人気でした。夫人の後ろにある屏風などあるのもそれが理由。
ちなみに犬に乗っているジョルジェットが、後に困窮して、この絵を含むコレクションの大半を競売にかけてしまいました。
『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の肖像』

制作年:1880年
シャルパンティエ夫人の作品あたりから特に裕福層からの肖像画依頼が増えた。この作品はその当時に、パリのユダヤ財閥の大富豪から依頼された子供の肖像画。筆触分割は主に背景の葉のみで、服や腕は尊敬する先輩マネのような荒めのタッチ。そこに非常になめらかな肌の表現が加わったルノワールにしか描けない一作。
本来3姉妹の絵の依頼で、一枚1,500フラン(当時1フラン約1,000円)でしたが、彼女の母親が気に入らず、下の妹たちはまとめて描くように依頼が変更されてしまいました。結果、支払いも3,000フランに。
後に抜群の評価を受けたこの絵は、「絵画史上No.1の美少女」として有名となりますが、当時は使用人の部屋にかけられていたそうです。
『テラスにて』

制作年:1881年
次に紹介する『船遊びをする人たちの昼食』と同じルノワールお気に入りのレストラン・フルネーズの2階テラスが舞台。女性は駆け出し女優のダルロー。背景だけでなく、毛糸の束、子供の帽子など明らかに印象主義の技法が駆使されている。色の鮮やかさには目をみはる。
沢山の美しい女性をモデルに描いてきたルノワール。本人自身も女性モデルを好んで描いていますが、実際ルノワールの肖像画はとても人気であったため、依頼が殺到していたことも理由にあります。
これだけ美しく、可愛らしく描かれるのですからそれは注文したくもなるはず。絵から共通して感じられるモデルとなった女性への愛情です。しかし基本、ルノワールは恋愛感情ではなく「慈しみの情」で女性像を描いていました。実際他の画家と比べて浮いた話はほとんどありません。光と色彩とその形態をいかに表現するかを探究していた画家でした。
『舟遊びをする人たちの昼食』

制作年:1881年
『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』同様にルノワールの友人・知人がモデルを務めている。左下で犬と戯れている少女は、後にルノワールの妻となるアリーヌ・シャリゴ。左下から右上に向かう構図の動線や、輪郭選が出てきているのはルノワールが印象派から古典主義への関心が強まった時期のためである。
セーヌ川はパリ市民たちの船遊びの場所でした。搭乗する人物はほとんどルノワールの友人ですが、単なる群像肖像画を超えて、絵画とは「生きる歓び」である、と考えていたルノワールの信念が見事に表現されています。
『雨傘』

制作年:1885年
パリの都会の風俗を描いた作品。印象派タッチな肖像画を描くことで非難が続いていたため、途中から古典主義への関心を強めたルノワール。この作品はまさにその葛藤の中にあった時期のもので5年の歳月をかけて制作された。
右側の女性が印象派らしく繊細で愛くるしく柔らかい印象、左側の女性は輪郭線が明瞭で古典絵画のよう。5年間の歳月をかけたこの絵は二つの画法が混在しています。しかし不思議と違和感がなく、重なり合う傘が複雑でリズミカル。
古典主義の線と印象派の色彩効果の融合を試みたのでしょうか。
『女性大水浴図』

制作年:1887年
絵画の主題として水浴図の出典は古代ギリシャまで遡る。つまり古典的なモチーフとして誰が見てもわかるアカデミックな題材。印象派から徐々に古典主義へとスイッチしていくルノワールが集大成として描いた作品。
ルノワールとしては、この作品のために多くのデッサンや構図の習作を重ねていましたが、人物・風景どちらにも印象主義の名残が見られ、完全な古典的作品でもない、どっちつかずともとれるこの絵は、ルノワールのファンであったブルジョワ層からも人気がありませんでした。
その結果、「私は『大水浴』の大作を企てて、3年間それにとりかかってきた。私が、この作品に、どれだけ惨憺たる苦心をしたか、誰も知らない。」と画商のヴォラールに手紙を送っています。
【小話】ルノワールの静物画の秘密




ルノワールの静物画は「息抜きであり、実験」でした。ルノワール自身も「花を描いている時は頭が休まる。モデルを描くときの精神の緊張とは別物だ。」と手紙で綴っています。
ですが、ただの息抜きであはりません。「花を描くとき、さまざまな色調を置き、色を大胆に試みる。こうした試行錯誤から得られた経験を、他の絵に応用する」とも語っています。
1890年代からバラの絵をよく描くようになるルノワール。画家のヴォラールが「なぜバラの絵ばかり描くのか?」と尋ねた際に、「これは裸婦の肌の色調のために必要だ。」と答えています。
ルノワールはとことん人物画を極めようとしていたことよくわかります。。ただ静物画も非常に綺麗で、やはりルノワールらしい作品。柔らかい表情の花々からは、愛情が伝わってくるようです。
印象派の巨匠「ルノワール」の想い
いかがでしたでしょうか。他の印象派の巨匠たちと比較して、とにかく人物画が多く、いずれのモデルも穏やかで優しげな表情をしています。
というのもルノワールのアート制作のスタンスは生涯一貫して、「絵は人が見て楽しい気持ちになれるものであるべき」でした。
ルノワールが”幸福の画家”と呼ばれるのは、描いた作品はもちろん、そのような絵への想いを変わらず持ち続けたためでしょう。
参考文献
「もっと知りたいルノワール生涯と作品」- 島田紀夫
「ルノワール 色の魔術師」 – 別冊太陽
「はじめてのルノワール」 – 中川真貴

