言わずと知れたジブリの「宮崎駿」と、解剖学者「養老孟司」の対談をまとめた本が、「虫眼とアニ眼」です。宮崎駿関連の本では特に読みやすく、イラストも多数掲載されていて手に取りやすいと思います。
映画について、理想とする町について、現代の人間関係・環境問題などが主な内容。2人の眼から社会をのぞいてみると、こんな風に見えるのかという発見的おもしろさが本著の魅力です。
※現在は「宮﨑駿」ですが、この当時は「宮崎駿」のためそちらで統一
「虫眼とアニ眼」のあらすじ・概要
日本を代表するアニ眼を持つ「宮崎駿」と、知識人でとりわけ昆虫採集に長じた「虫眼」を持つ「養老孟司」。
1997年〜2001年の間に行われた2人の3回の対談内容では、「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」など宮崎作品についての深掘りから、知識人としての2人の興味深い会話が繰り広げられます。
「もののけ姫の時代設定がなぜ室町時代なのか?」 。宮崎駿本人が語ったのは、鎌倉以前と室町以降で戦の仕方が変わったことで、自然への敬意が失われたと語っていて、そこから話を膨らませたなど興味深い内容が目白押しです。
2人の知識量が多すぎるため、あちらにもこちらにも話が脱線したりしますが、飽きずに読めてしまうのはこの2人の会話だからでしょう。
対談中出てくる教育論には、懐古的な理想がないわけではありません。ただ本人も自分が偉そうなことを言える立場ではないとしつつの意見なため、「この世代の人から見るとこう感じるんだな」くらいの緩い目線で読むといいと思います。
なお、対談とは別に宮崎駿が空想する理想的な町や保育園のイラストが描かれていたり、養老孟司による「宮崎アニメ私論」が加えられ構成されています。
宮崎駿の空想するイラストを見ているだけでも、子供の時の感覚やワクワクが蘇ってきて心躍ります。また養老孟司が解剖する宮崎作品への私見も独特な切り口で面白い。
読み応えが抜群ながらもサクッと読めるページ数と構成。移動中やお昼休憩で読むのにもいいでしょう。
「虫眼とアニ眼」の個人的見どころポイント
いろんな話が飛び交うため、深掘りたい点は多数ありますが、以下では特に記憶に残ったポイントを紹介します。
宮崎駿が空想する町や保育園(描き下ろしイラスト)
本の冒頭では、21ページもの描き下ろしイラストがあります。おそらく漫画「風の谷のナウシカ」以外でこれだけイラストが描かれている本はないと思うので、”ジブリの絵”が好きな人はそれだけで買う価値があるでしょう。
このパートでの見どころはイラストだけでなく、テキストでも宮崎駿の考えが説明されている点。
例えば、保育園は「いつの間にか、すべての感覚を使って 身体を動かしてしまう所。コンクリート、プラスチックを隠し、木や土、水と火 生き物と触れる所。」がいいと書かれています。(宮崎イズムでているなあ)
現代は幼少期からスマホなどにより意識ばかりが肥大し、身体性が失われつつあるといった内容が対談で出てています。おそらくその背景からそういったアイデアが出ているのかなと想像すると、テキストとイラストが地続きになってより楽しめます。
「あぶなくないと、子供は育たない」という言葉が印象深かったです。
私自身、幼少期はスマホなどはなかったため、遊びといえば外で身体を使うことが当たり前でした。それの何が良いかと考えると、「感覚的な想像力がつく」ことだと思います。身体的感覚から危機察知能力がついたり、生き物との距離感が測れたりとタフさ・器用さが生まれるのかなと感じます。
宮崎作品の個人的に好きなところは、自然や機械の動き、生き物の動作などが異常にリアルなところです(逆にとてもファンタジーなときもある)。
「階段を駆け下りる脚の動作や上半身のけぞり具合、飛行機の細かいパーツそれぞれの動き方、その背景には宮崎駿自身が身体を使って多くを目にして、経験したからこそのディティールではないでしょうか。
そしてその感覚が少なからずあるからこそ、受け手も観ていて妙に納得感があったり、懐かしさを感じたりするのだと思います。
対談の中で話していた以下場面が印象的です。
「うちの子どもはトトロが大好きで、もう100回くらい見ています」なんて手紙がくると、そのたびにヤバいなあ、と心底思うんですね。誕生日に1回見せればいいのにって(笑)。」(中略)トトロの映画を1回見ただけだったらドングリでも拾いに行きたくなるけど、ずっと見続けていたらドングリ拾いに行かないですよ。 –宮崎駿–
つまり、子どもの記憶が身体的なものではなく映像的なものになってしまい、真の経験ができないこと、さらにアニメーションがそれに加担していることに憤りどおりを感じている様子でした。
なんとなく、言わんとしていることはわかります(私も10回は観たことあるけど、、、)。本著では「脳化」や「アニメのリアリズム」についても取り上げられています。
話を戻すと、町や保育園は身体的な経験をつんだり、感覚を取り戻したりできる空間を作りたいという理由に、やたらと納得感を感じたという話でした。おそらく私自身が机にかじりつく仕事のためです。
イラストでは保育園だけでなく、いろんな施設や空間が描かれていて非常に興味深いのでぜひ読んでみてほしいです。
養老孟司が語る「宮崎アニメ私論」
「なぜ宮崎駿を論じろというのか」「アニメに解説は必要ない」と愚痴めいた言葉を言いつつ、引き受けたのは興味深いことがなかったわけではないと徐々に養老孟司さんが宮崎作品を評する章。
大きくは「宮崎駿の品のよさ、見てきた歴史性、自然への感覚」を取り上げています。
品のよさというのは、コマーシャル性のなさのことを指していて、媚びる姿勢や注目を集めようとする作りではないことのようです。もちろん過去作品はエンタメ的商業性がないわけではありませんが、同時に作品としての純度が高いと感じます。その違いの1つは組織人ではないこと、サラリーマンではないことが理由ではないかと記されています。
雇われ監督ではなく、宮崎駿のためのスタジオとしてスタートしているため、自由に自分の思うように作品を追求できています。唯一無二な芸術性の高い作品を出せるのは、その環境にもあるのだと思います。
その観点で言うと、「君たちはどう生きるか」は、究極形であり、スタジオジブリ、正確には宮崎駿でなければできないことだったと思います。”一切宣伝なしということが宣伝になってしまう”というのは、世界的にも宮崎駿以外にできないでしょう。
宣伝なしに、7年間という膨大な歳月を費やして作る作品にはコマーシャル性などありません。芸術性が高く、理解するのも難しいです。そんな媚びる姿勢が皆無の作品だからこそ、こちらが読み解こうとハマってしまうのかもしれません。
「宮崎駿」×「養老孟司」の興味深いひと言
多くのことに触れられている対談のため、その中で興味深かかった一文をいくつか記載して終わろうと思います。
異論はいっぱいあるようですよ。映画評とかを読むと、本気で殴りに行こうかと思ったりするんで(笑)、それも読まないようにしたりしています。–宮崎駿–
これは宮崎映画に対して、「異論の余地がない」と言われた時の返し。普段、観客動員数は気にしないなど評価について気にしていないようにも見えつつ、ちゃんと気にしている人間らしい部分が面白いです。
もちろん僕は下心のある人間ですから、ここで人をどきどきさせようとか、お金を稼ごうとか、あるいは名を上げようとか、そいうごちゃごちゃしたものがちゃんと自分の中にしっかりあるわけですよ。その下心を満足させる作品を作るには、ここで山場を作って手に汗を握らせ、最後には正義が勝つ、というような映画のセオリーを踏めば、ある程度できます。けれどもそれでは、どこかの国のテロリストと正義の味方しか知らない世界に生きている人間と同じことになる。そいう世界線で映画を作る気はさらさらないんです。–宮崎駿–
確かに、宮崎映画では基本的に勧善懲悪というスタンスがなく、それが故に複雑で考えさせられます。小さい時にはなんとなくしか感じえなかったものが、大人になって観ると、もう少し輪郭が掴めてくる。それは多分観ていると主人公以外の目線も持てるようになることが理由かと思います。その時に勧善懲悪だとむしろつまらなく感じるはず。ムスカはシンプルに悪いやつですが。
それで死体が気持ち悪いとか言っている人がいると、よく言うんです。いずれおまえさんもなるものをなぜ気持ち悪いんだと。それは要するにおまえは自分と折り合いがついていないんだろうって(笑)。 –養老孟司–
普段死体を見慣れていない我々からしたら死の実感はなかなかに訪れることはないため、びっくりしたり、嫌悪するのも当然だと思います。ただ言われてみたら確かに自分はその折り合いはつけられていないことに気付かされるひと言でした。
「よく知っている宮崎駿だから、養老孟司だから」話を面白く読めたというという事実はありますが、自分より経験を積んでいる先人の話はすべからく面白いはず。
もう少しいろんな人の話をしっかり深ぼって聞いてみたい、感じてみたいと思いました。
本著が気になった人は、フラッと面白いおじいさんたちの話を聞くくらいのつもりで手にとってみてはいかがでしょうか。