ルネサンスで最も業績を残したサンドロ・ボッティチェリ。
今回紹介する「春(ラ・プリマヴェーラ)」は、ヴィーナスが支配する春の到来を表現したボッティチェリの代表作の一つです。
真ん中にいるお腹の大きな女性は、愛と美の女神 「ヴィーナス」 。彼女の別名「アフロディーテ」 は、4月(April)の語源であるラテン語の “アンプリリス” の由来になっています。
まるで「春」をテーマにした舞台を一枚の絵に詰め込んだかのような、濃厚でロマンチックな作品を簡単に解説していきます。

東京都在住OL。30代で新しくできたあだ名は”分析”。趣味は人間観察、苦手な言葉は努力・根性。情緒と歴史があるものが好き。
サンドロ・ボッティチェリのプロフィール
初期ルネサンスを代表する画家「サンドロ・ボッティチェリ」(正しくは、サンドロ・ボッティチェッリ)は、1445年にイタリアのフィレンツェで誕生しました。

本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピ。お兄さんがちょっと太っていたため、弟が「小さな樽」という意味で「ボッティチェリ」というあだ名がつきました。
ボッティチェリは、革なめし職人(革製品に利用するための動物の革を、最適な状態に変える職業)をしている親の末っ子として生まれ、陽気で知的好奇心旺盛な性格であったと言われています。
当時最も名高い画家の元へ10代で弟子入りし、芸術の道へと進みました。
ボッティチェリは神話だけでなく、哲学や宗教にも興味を持ち、自身の絵画へ知識を投影させています。
晩年は主に宗教画を書いて過ごし、1510年に永眠しました。
【簡単解説】「春(ラ・プリマヴェーラ)」
たくさんの学者たちによって議論が繰り広げられてきた、「春(ラ・プリマヴェーラ)」。
今回は、神話的なストーリーと、ボッティチェリが熱中していた哲学的な視点——この2つの軸から、《春》を紐解いていきます。
作品から感じる「春」
「春 ラ・プリマヴェーラ」は、ヴィーナスが支配する春の到来を表現したボッティチェリの代表作の一つです。
まず、この物語の登場人物の紹介です。

この春の物語はゼフュロスから始まります。
西風の神ゼフュロスは、草の女神クロリスに恋をして、連れ去り自分の妻にしてしまいます。ゼフュロスは自身の行動を悔やみ、クロリスに花を司る力を与えるのです。そして、彼女は花の神フローラになります。

よく見ると、クロリスの口から出ているお花が、フローラの服の柄になっています。
風が吹き、植物たちが受粉して花咲き誇る春になっていく神話を、ボッティチェリは変身前後の彼女たちを並べ、描いています。
攫われるんだからさぞ嫌だろう。と思っていましたが、クロリスの顔がちょっと嬉しそうにも見えます。「はい、ゼフュロス来ました!変身!」みたいな感じに見えるのは私だけでしょうか。
そして、フローラの隣には愛と美の神ヴィーナス。別名アフロディーテ(Aphrodite)がいます。

英語の「April(エイプリル)」は、ラテン語の 「アプリリス(Aprilis)」 に由来しています。この言葉はアフロディーテ(Aphrodite) が語源だったといわれています。
中央にヴィーナス(アフロディーテ)がいることで、この絵は冬の寒さで包まれていたヴェールが取り払われ、暖かな春の陽光が差し込んでくるような情景を思い起こさせます。
ヴィーナスの左隣にいるのは、三美神。彼女たちは、それぞれ愛欲(左)、貞潔(中央)、美(右)を司る女神です。両サイドの2人に比べて、中央の貞潔は少し内気な印象を受けます。そして、キューピッドの弓矢の先が、その貞潔に向けられているように見えます。
この場面では、貞潔がキューピッドの導きにより、貞潔が“愛に目覚める”瞬間です。

彼女の目線の先にはメリクリウスがいるようにも思えますね。
神話にも2人が恋に落ちるなんて話はないですが、真面目な女性(貞潔)がキューピッドによってメリクリウスに恋焦がれる物語を想像したら、春!さらにとっても春!と、私はいい気分になりました。
そんなメリクリウスは、5月の女神を母に持つ、商人や旅人の守護神。イタリアでは、彼の名前が5月の祝日にもなっています。彼は手に持った杖で暗雲を払い、初夏を告げる準備をしているのです。
「春」に込められた理想の愛
本作は、当時のイタリアで最も権力を持っていたメディチ家の当主、ロレンツォ・デ・メディチの婚礼を記念して描かれたとされています。
ボッティチェリは、お祝いの作品の中に自分が最も美しいと感じる愛の形を込めたのではないかと言われています。

彼は神話的作品が有名ですが、宗教や哲学に強い関心を持っていた人。肉体を讃えるギリシャ哲学と、精神を讃えるキリスト教を融合させた新プラトン主義を好んでいました。
この相反する二つの思想を合体させ、「人間には汚れやすい肉体と清い精神があり、そのバランスを取ることが大事である」という新プラトン主義では精神的な愛の方が崇高だとされています。ボッティチェリもそう考えていたし、二つの考えの融合を強く望んでいました。
さて、この作品にどこにキリスト教要素があるのか?というと、絵の中央のヴィーナスです。

ヴィーナスを見て「あれ、マリア様?」と感じた方はいらっしゃいませんか?ちなみに私はずっとマリア様だと思って生きていました。
マリア様っぽい理由は、お腹の膨らみと後ろの黒い背景が丸く切り取られているところです。まるで後光を背負っているように見えますし、ヴィーナスが妊婦さんのイメージはほぼないのではないでしょうか。
ボッティチェリは、神話のヴィーナスにキリスト教の聖母マリアを重ね表現することで、「あなたたちの婚姻も崇高な愛へと導かれますように」という願いを込めていたのかもしれません。
彼は、依頼された絵に自分の思想や意志を詰め込ることのできる、めちゃくちゃ頭のいい人でした。おかげさまでこの作品は今もどこかで熱い議論が交わされていることでしょう。
「春(ラ・プリマヴェーラ)」が見られる美術館は?日本で見れる?
どこの美術館で見ることができる?
本作《春(ラ・プリマヴェーラ)》は、イタリア・フィレンツェにあるウフィツィ美術館で鑑賞することができます。
ウフィツィ美術館は、メディチ家が代々収集してきたコレクションを所蔵しており、ルネサンス期から20世紀にかけての名作が約2,500点も展示されており、同じくボッティチェリの代表作である「ヴィーナスの誕生」も鑑賞することができます。

さらにラファエロやレオナルド・ダ・ヴィンチの名作も多数並ぶ、イタリア美術の宝庫です。
来日予定はある?
「春(ラ・プリマヴェーラ)」「ヴィーナスの誕生」が日本に来る予定は、現時点では発表されていません。
ですが、ボッティチェリの「美しきシモネッタ」を日本でも鑑賞することができます。

会場 | 丸紅ギャラリー(東京都・大手町) |
期間 | 2025年3月18日(火)〜 2025年5月24日(土) 10時~17時(入館は 16時半まで) ※日曜日、祝日は休館日 |
入館料 | 一般500円(高校生以下無料) ※詳細はこちらをご確認ください。 |
この「美しきシモネッタ」は、ボッティチェリ《春》や《ヴィーナスの誕生》のモデルにもなったとも言われている女性。ぜひ、ボッティチェリの美の世界に触れてみてはいかがでしょうか。
最後に
当たり前のように過ぎていく毎日なので、ほんの少しでも特別に思える瞬間が増えたらいいな、という願いを込めて毎年来る「春」の作品を取り上げました。
春の訪れが近づき、強い風が吹いたとき、それが西風かどうかなんてわからなくても、「あ、今年もゼフュロスがクロリスを攫ったのかも」なんて思えたら、今までよりも少しだけ春が愛おしく感じられるかもしれません。
ここまで読んでくれたあなたの明日が、来年が、少しでも鮮やかに彩られることを祈っています。
参考文献
「細部から読みとく西洋美術 めくるめく名作鑑賞100 」- 中山ゆかり
「366日 風景画をめぐる旅」 – 海野 弘
「ボッティチェッリ画集」 – ボッティチェッリ (著), 楽しく読む名作出版会 (編集)

