「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」を解説! 緑の一本線が画面すべてを支えている

紫・赤・緑と世にもカラフルな色彩配置がされた肖像画がここにあります。そして、顔の中心を貫く一本の”緑の線”。

アンリ・マティスの代表作として、語り継がれる名画《緑のすじのあるマティス夫人の肖像》。

その正体を一言でいうと、奇行ではなく「設計」。妻を歪めたのではなく、画面を成立させる“柱”として、マティスはあの一本を引いたのでした。

筆者:ゆるり

「正確に、けれども面白く」をモットーに
芸術の世界を案内するアートライター

目次

緑のすじのあるマティス夫人の肖像とは

©Wikipedia
作者アンリ・マティス
制作年1905年
サイズ40.5 × 32.5cm
所蔵コペンハーゲン国立美術館

”色彩の魔術師”としてピカソと並ぶ近代美術の礎を築いた画家アンリ・マティス。彼が36歳の時に描いた自身の妻の肖像画です。その激しい色彩にもかかわらず、けばけばしくないのはマティスが色の理論を極めていたからでした。

サイズはわずか40cmほどの小品ですが、その小ささからは想像できないほど、この一枚は絵画の世界に大きな意味を持つことになります。

なぜ妻の顔に「緑の線」を引いたのか

「妻の顔をこんなふうに描くなんて、大丈夫? 一生恨まれない?」——そう感じてもふしぎではない本作。実際、この絵はモデルのアメリー本人にはまったく似ていません。

マティス夫人・メアリー ©MFA

肌は緑や黄に塗り分けられ、表情も仮面のよう。「本人そっくりに描く」という肖像画の前提が、見事に無視されています。

でも、これはマティスがわざと選んだことでした。彼にとって色は、目に映る通りの世界を写し取る道具ではなく、感情や印象そのものを表現する道具だったのです。実物が何色かより、画面の上で色がどう働くか。そちらを優先した結果が、この顔色でした。

イメージしやすいのは、映画の色づかいかもしれません。ホラーなら画面全体を不穏な緑に、ラブシーンなら甘いオレンジに——現実の色とは違っても、その色が「気分」をつくる。マティスがやったのも、これに近いことです。

似せることを捨てて、色そのものに語らせる。これを美術の言葉で「色彩の自立」と呼びます。

ただ、それなら顔を塗り分けるだけでもよかったはず。なぜ、わざわざ顔の真ん中に一本の緑の線なのか。ここにこそ、マティスの“設計”が隠れています。

緑の筋の正体は「画面を支える柱」だった

ここで、絵をもう一度よく見てみましょう。顔の真ん中を走る緑の線は、ただ顔を引き裂いているのではありません。この一本が、顔を明るい側と暗い側の二つに、きっぱりと分けています。

そして分けられた顔は、明るい右側(鑑賞者からして左)が緑の輪郭線で、暗い左側が赤の輪郭線で縁取られている。背景もまた、緑・赤・紫で左右に区切られています。

注目したいのは、これらがすべて「補色」で組まれている点です。補色とは、色相環で正反対に位置する色同士のこと。赤と緑、青とオレンジのように、隣に置くと互いをいちばん鮮やかに見せ合う関係です。

つまりこの絵は、顔も背景も、強い色と強い色のぶつかり合いでできています。普通ならケンカして画面が崩れてもおかしくない。

そこで効いてくるのが、あの緑の線です。顔の中央に芯を一本通すことで、散りそうな顔が、背景の強烈な色に呑み込まれず「ここにいる」と踏みとどまる。鼻筋を明るい緑で描くという、当時ほとんど前例のない一手まで加えて、マティスは顔の存在感を守りきりました。

奇行どころか、非常に計算高い。

色を、現実を写すためではなく、力と力の釣り合いを組み立てる“部品”として使う。マティスがこの絵でやってのけたのは、そういう設計でした。だからこそ本作は、小品ながら「マティスの新しい画風の成立を最もよく示す傑作」と評価されているのです。

なぜこの絵が生まれたのか ―《帽子の女》の直後に

この大胆な設計は、ひらめきで生まれたわけではありません。何年もの試行錯誤の、たどり着いた先でした。

前年の1904年、マティスは新印象派のシニャックに誘われ、南仏で点描を試します。小さな色の点を並べて光を表す技法ですが、これは彼の肌に合いませんでした。

点の集まりでは人体のボリュームが出ず、形が崩れてしまう。けれどこの“うまくいかなさ”が、かえって彼を前へ進めます。点で写すのではなく、色そのものの力で画面を組む——その方向が見えてきたのです。

翌1905年の夏、若い友人ドランと南仏コリウールに滞在。強烈な南の光と、ファン・ゴッホの激しい色に背中を押され、新しい様式が一気に固まります。

その秋のサロン・ドートンヌで、マティスたちの荒々しい絵を見た批評家は「野獣(フォーヴ)」と呼んで嘲笑しました。のちに「フォーヴィスム」と呼ばれる運動の名は、ここから来ています。そして話題をさらった一枚が、妻をモデルにした《帽子の女》でした。

《緑のすじのあるマティス夫人の肖像》は、その《帽子の女》のすぐあとに描かれています。前作よりさらに大胆で、様式としても一段完成している。世間を騒がせた前作の“次の一手”として描かれた、新しい画風の到達点だったのです。

以下ではマティスの生涯を詳しく解説しています。

「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」はどこで見られる?

国立美術館(SMK)©Wikipedia

この絵を所蔵しているのは、デンマークの首都コペンハーゲンにある国立美術館(SMK)です。北欧最大級の美術館で、本物に会いたいなら、ここを訪ねることになります。

40cmほどの小品なので、実物は思ったより小さく感じるかもしれません。それでも、あの緑の線が放つ存在感は、画面の前に立つと写真以上に伝わってくるはずです。

【最後に】奇行ではなく、設計だった

マティスについての参考文献

最初は「妻の顔を緑でぶった切るなんて、よほど奥さんのことを嫌いなのか」なんて呑気に思っていました。でもマティスの色彩を紐ほどくと、この一本は奇行ではなく、画面を支える“柱”でした。

この絵が初めて公開された1906年、人々はその大胆さを笑いました。けれど今、同じ絵はフォーヴィスムを代表する一枚として、世界中で語り継がれています。笑われた一本の線が、新しい絵画を切りひらく設計図だったのです。

参考文献
「もっと知りたいマティス」- J・P
クレスペル
「マティスを旅する」- 岸 達郎
「マティス 画家のノート」- 二見 史郎
「僕はマティス」 – キャサリンイングラム
「マティスのみかた」 – 猪熊弦一郎
「現代美術の巨匠 アンリ・マティス」 – サラ・ウィルソン
「マティス」 – ジョン・ヤコブス

「ヴィヴァン―・25人の画家 (第18巻) マティス」 – 乾 由明

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